浅井竹五郎 あさいたけごろう

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鶴田 純久の章 お話

1890年(明治二三)大阪市に生まれました。
府立北野中学校卒業後家業を継ぎ名古屋市東区東芳野町に浅井産業合名会社を設立、陶磁器輸出業を営んです。
中国の天津・奉天(瀋陽)そしてハノイーサイゴンなどに支店を設け、広く中国・東南アジア・インド・オーストラリア・アフリカ・南北アメリカなど全世界に陶磁器を輸出し、第二次世界大戦当時取扱い高全国第一位を占めました。
1940年(昭和一五)愛知県東春日井郡霞ヶ丘(名古屋市守山区)に飛騨の民家を移築し玄々荘と名付け、趣味人として高松定一・川喜田半泥子・小林一三らと交わり、瀬戸・美濃の若き陶芸家を後援し、加藤土師萌・加藤唐九郎・荒川豊蔵らが後年名を成しました。
また国原コレクションの宋代青磁を所蔵し、修内司窯・郊壇窯などの研究に力を注ぎ、芳野町人の筆名で『茶碗屋茶話』『呂宋の壺』『砧青磁』などの随筆集を出版。

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