名前は矩賢、鳳剛園と号しました。もとは難波(大阪市)の豪商でありましたが、俗世間を嫌い山城国八幡(京都府綴喜郡八幡町)の鳩が峯の南山に閑居しました。陶器をつくることを好んで各地の土を取り寄せそこの名器を模作し、世間では八幡南山焼としてもてはやしました。1800年(寛政こI)3月21日没、八十余歳。(『工芸鏡』)