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平野肩衝

平野肩衝(ひらのかたつき)

古瀬戸 大名物 伯爵 酒井忠正氏 所蔵

名称
天正年間(1573-1592年)に平野道是(ひらのどうぜ)が所持していた唐物茶入に「平野肩衝」があり、この古瀬戸茶入も同じ人が所持していたものでしょう。『雪間草茶道惑解(ゆきまぐささどうわっかい)』には「昔、平野、昔は稲葉丹後守(いなばたんごのかみ)が所持していた」とあります。

寸法
高さ:約12.27cm(四寸零五厘)
胴径:約7.42cm(二寸四分五厘)※紐(帯)の部分
口径:約3.48cm(一寸一分五厘)
底径:約4.55cm(一寸五分)
甑高(首の高さ):約0.55cm(一分八厘)
肩幅:約0.61cm(二分)
重量:約198.38g(五拾貳匁九分)

附属物
・お蓋(茶入のふた):4枚
 (利休好、遠州好、織部好、石州好)
・お蓋の箱:桐の白木箱、松平不昧(まつだいらふまい)の書付あり
 (「平野 蓋」「平野肩衝」)

・御物袋(おものぶくろ):浅黄(薄い青緑色)の羽二重
・袋(仕覆):2つ
 1. 金剛裂(こんごうぎれ)、裏地は「へちょろ」、紐は紫
 2. 鶏頭裂(けいとうぎれ)、裏地は玉虫色、紐は崩黄(くずれき・薄い黄色)
・袋の箱:桐の白木箱
 内部に4つの仕切りがあり、現在は2つの袋が入っています。
 (備考)『石州過眼録(せきしゅうかがんろく)』には、金剛と鶏頭のほかに「弥惣右衛門切(やそうえもんぎれ)」「上柳切(かみやなぎぎれ)」を合わせて4つの袋が掲載されているため、現在はそのうちの2つを紛失しているものと思われます。
・挽家(ひなや・茶入の木箱):花櫚(かりん)製、蓋に金粉で文字が書かれています。
 (「平野」小堀遠州の書付)
 挽家の袋:有栖川純子(ありすがわどんす)、裏地は色替どんす、紐は茶色
・外箱:桐箱、春慶塗(しゅんけいぬり)、金粉で文字が書かれています。
 (「平野」小堀遠州の書付)

雑記
平野(古瀬戸、中興名物、冬木)。高さ:約12.36cm(四寸八厘)、胴径:約7.42cm(二寸四分半)、口径:約3.27cm(一寸八厘)、底径:約4.39cm(一寸四分半)。袋は金剛切(裏地は海気)、挽家は花櫚、書付は宗甫、金留に「平野」の文字。袋は「まかひ(紛裂)」、織物、菱紋(裏地は格子花鳥紋、五色緞子)。茶箱は春慶塗、書付は金ふじ(金泥)で「平野」とあります。(『古今名物類聚』より)
(備考)『古今名物類聚』では古瀬戸・中興名物の部に平野肩衝が掲載されていますが、文化8年(1811年)に松平不昧が息子の月潭(げったん)に譲り渡した道具目録(道具附)では、これを「大名物」の部に分類しています。

平野(稲葉丹後守所持。寸法や附属物の記述は『古今名物類聚』と同じです。)
(『名物記』より)

平野(古瀬戸。雲州公(松平不昧)、松井庄三郎が所持。柿色の地に黒い釉薬がかかり、釉薬のなだれがあり、金気が強く、白土(シロツチ)が使われています。水釉(透明な釉薬)がかかり、底の糸切は細かい。一面に黒胡麻を散らしたようで、胴の下に2本の筋があります。袋は鶏頭、金剛。寸法、附属物の説明、および茶入の図があります。)
(『麟鳳亀龍』より)

平野(大瀬戸。本糸切、水釉。附属物の記事と、精密な茶入の図があります。)
(『吉益玩草庵茶入図解』より)

平野肩衝(瀬戸。冬木喜平次が所持。蓋は4つあり、そのうち利休好と宗甫好には「窠(穴)」があり、織部好と石州好には「窠」がありません。袋は3つあり(鶏頭、大燈金剛)、挽家は鉄刀木(タガヤサン)製で、銘が金粉で小堀遠州により書付されています。袋は有栖川(裏地は石畳)、緞子箱は几帳面取りが施され、銘が金粉で「平野」と遠州によって書付されています。真田紐は白と紺の縞模様。全体の色は柿色で、金気があり、上部は紫黒色。斑(まだら)が非常に細かく切り替わっていて見事です。土鼠(どねず)色の釉薬で、釉薬が留まっている部分に赤い水釉があります。底の糸切は非常に細かい。口の作りは花肴(引き締まった美しい形)で、甑(首)の付け根は肩が少し入っています。肩には少し肉厚感があり、肩先はヘラ(利刀刃)で削られており見事です。胴から下にかけて少し引き締まった「ギり」があります。精密な茶入の図があります。)
(『伏見屋名物茶器図』『筆記』より)

平野(地釉は柿色、上釉は黒。一面の斑の切り替わりが非常に細かく見事です。全体に金気があり、底は本糸切です。肩の作りの出来栄えは大変素晴らしいものです。寸法、附属物の説明、茶入の図があります。)
(『神尾家道具明細記』より)

平野肩衝(大瀬戸。口の作りは薄く、上手(優れた職人)による大瀬戸の作です。飴色の釉薬はありません。地の柿色に黒胡麻のような斑と金気があり、片身替り(左右で景色が異なること)になっています。水釉があります。全体としては黒楽のような置形(釉薬の景色)で、底の糸切は細かく、底の周りには水釉がかかっています。畳摺(底の縁)に見事な土が見え、糸切の筋は53本あります。)
(『修庵文庫』甲第九号より)

平野(文政7年(1824年)以降にこの方が所持。蓋の図、茶入の図があります。その他の記述は、おおむね前述の『伏見屋筆記名物茶器図』と同じです。)
(『修庵文庫』甲第七号より)

平野(大瀬戸。昔は平野、昔は稲葉丹後守殿が所持し、今は冬木家へ渡りました。色彩に光沢があります。高さは約12.42cm(四寸一分)。蓋が4枚あり(利休、織部、遠州、石州)。袋は弥左衛門かんこう、鶏頭切。箱の書付は小堀遠州です。)
(『雪間草茶道惑解』より)

平野肩衝(古瀬戸。稲葉春翁、上田宗五を経て、現在は雲州公(松平不昧)が所持。小堀遠州の書付があります。)
(『千家中興名物』より)

平野(大瀬戸。稲葉丹後守、冬木喜平次が所持。箱は春慶塗で金粉の書付があり、挽家とともに小堀遠州(宗甫)の筆による書付があります。寸法や附属物の記事があります。)
(草間和楽著『茶器名物図彙』より)

平野(元祖は稲葉丹後守。「鎗の鞘」「長谷川」「生駒」とともに天下の「四つの大せこ(大名物の肩衝茶入)」と称されます。袋が2つ、蓋が4枚、小堀遠州の書付があります。)
(戸田露吟の『雪間草』より)

平野肩衝(「生駒肩衝」「長谷川肩衝」とともに、大瀬戸の三つの内の名物とされています。)
(寛政二年『伏見屋覚帳』より)

平野(古瀬戸です。「山の井」「生駒」「鎗の鞘」「大鳥」「島山」と同時代のものであり、さらに「山の井」「生駒」とは同じ手法、同じ釉薬の立ち方をしています。)
(松平不昧著『瀬戸陶器濫觴』より)

平野肩衝(古瀬戸。大名物記の「麒麟」の部に掲載されています。また『麟鳳亀龍』の「鳳」の部にもあります。)
袋は金剛切、弥惣右衛門かんごう、鶏頭切、上柳切。
(『石州流過眼録』より)

文化11年(1814年)10月12日正午 口切の茶事 独楽庵(どくらくあん)
 客:殿様(松平月潭(げったん))、根土宗静(ねづそうせい)
 亭主(主):松平不昧
 (仲介・同席):伏見屋甚兵衛
一、掛物:南楚(なんそ)禅師の墨蹟
一、花入:石州一重切(せきしゅういちじゅうぎり)
一、茶入:平野(袋は鶏頭切)
一、茶碗:秋風(あきかぜ)玉子手(たまごで)
(『大国庵会記』より)

大名物
一、六条肩衝(小瀬戸)一、長谷川文琳(唐物)一、山の井(大瀬戸)
一、本能寺文琳(唐物)一、神谷肩衝(大瀬戸)一、円乗坊(大瀬戸・松木盆添)
一、伊木肩衝(漢)
一、平野(大瀬戸)(以下省略)
これらは天下の名物であり、末永く大切に扱うべきものである。
文化8年(1811年)未年9月
出羽守殿(月潭への宛名)
不昧(印)
(『雲州松平家文書』より)

伝来
元々は平野某という人物が所持しており、その後、稲葉丹後守から、江戸の冬木こと上田宗吾の手に入りました。そこから松平不昧公が買い求めることとなり、文化8年の不昧公自筆の道具目録(道具附)にもこの茶入が掲載され、同11年の口切の茶会でも使用されました。しかし、本屋了雲(もとや・りょううん)が著した『麟鳳亀龍(りんぽうきりゅう)』に「平野は雲州公、今は松井庄三郎」とあることから、その後この茶入は松井家に渡り、同人からさらに姫路の酒井家に納められたものと考えられます。

実見記(実際に観察した記録)
大正9年(1920年)12月5日、東京市小石川区原町の酒井忠正(さかいただまさ)伯爵邸において実際に拝見した。
口の割合は小さめで、口縁の折り返し(拈り返し)は浅く、甑(首)は極めて低い。肩はキッカリと角張って(衝いて)おり、一部が少し面取りされている箇所がある。胴は張っており、太い沈み筋が一本ぐるりと一周しており、裾に向かってやや窄(つぼ)まっている。
底の周囲には柿色の紫釉の上に黒釉が厚くかかっており、特に肩先から一筋のなだれとなって、黒色の中に金気を含みながら裾のあたりまで達している部分がある。その釉薬が溜まった黒色は特に美しく、この黒釉が勝っている部分と、紫釉が勝っている部分とが自然と「片身替り」のようになっており、茶入に一段と興味深い景色(味わい)を添えている。
また、肩先の両側から柿色の金気を含んだ色筋が、ハシゴ(槹)の目のようにかかっており、胴の紐(沈み筋)の上に達して止まっている部分もある。裾から下は、赤みを帯びた水釉(透明な釉薬)の中に、一部の土(素地)が見えている箇所がある。口縁には一部補修(繕い)があるほかは、全体として無傷である。内部は口縁に釉薬がかっており、以下は全体に水釉がかかっている。轆轤(ろくろ)の目が荒く巡っており、底の中央には糸切の渦状の跡がキッカリと立っている。気品と風格が堂々としており、天正年間の古い気風(天正気分)を帯びた素晴らしい茶入である。

【原文】

平野肩衝

古瀬戸 大名物 伯爵 酒井忠正氏蔵

名称
天正の頃平野道是の所持唐物茶入に平野肩衝(編者註:本鑑第一巻参照)あり、此古瀬戸茶入も亦同人所持なるべし。雪間草茶道惑解に「昔平野昔稲葉丹後守所持」とあり。

寸法
高 四寸零五厘
胴径 貳寸四分五厘 帶にて
口径 壹寸壹分五厘
底径 壹寸五分
甑高 壹分八厘
肩幅 貳分
重量 五拾貳匁九分

附属物
一蓋 四枚
  利休好 遠州好 織部好 石州好
一蓋箱 桐 白木 書付松平不昧
  (平野 蓋)
  (平野肩衝)
一御物袋 淺黄羽二重
一袋 二つ
  金剛裂 裏がへちょろ 緒つがり紫
  鶏頭裂 裏玉虫 緒つがり崩黄
一袋箱 桐 白木
  仕切四つありて袋二つを入る
  (備考)石州過眼録には金剛、鶏頭の外彌惣右衛門切、上柳切合せて四つの袋を掲げたり、されば今其二つを失へるなるべし。
一挽家 花欄 蓋金粉字形
  (平野)書付小堀遠州
  袋 有栖川純子 裏色替どんす 緒つがり茶
一箱 桐 春慶塗 金粉字形
  (平野)書付小堀遠州

雑記
平野 古瀬戸、中興名物、冬木。高四寸八厘、胴二寸四分半、口一寸八厘、底一寸四分半。袋、金剛切、裏海気、挽家くわりん、書付宗甫、金留「平野」。袋、まかひ、織、菱紋、裏格子花鳥紋、五色どんす。茶箱春慶、書付金ふじ「平野」。(古今名物類聚)
(備考)古今名物類聚には古瀬戸中興茶入の部に平野肩衝を掲げたれど、文化八年松平不昧が嗣子月潭に奥へたる道具附には之を大名物の部に入れたり。

平野 稲葉丹後守。(寸法、附属物の記事、古今名物類聚に同じ。)
(名物記)

平野 古瀬戸 雲州公、松井庄三郎 柿黒、なだれ、金気つよし、白土、水くすり、糸切細か、一面に黒胡麻の如し、胴下に筋袋二ッ、鶏頭、金剛。(寸法、附属物、茶入圖あり)
(麟鳳亀龍)

平野 大瀬戸 本糸切水薬。(附属物の記事及精細なる茶入圖あり)
(吉益玩草庵茶入圖解)

平野肩衝 瀬戸 冬木喜平次所持、蓋四ッ、其内利休好、宗甫好は、窠織部好、石州好は窠なし。袋三つ、鶏頭、大燈金剛、挽家鐵刀木、銘金粉書付遠州。袋、有栖川、裏石畳、純子箱、几帳面取、銘金粉「平野」、書付遠州、眞田白紺之縞、惣地柿、金気、上紫黒、斑細く切る、見事、土鼠薬、留りの所に赤く水薬あり、糸切隨分細し、口造花肴にて、コシキ付は肩少し入る、肩に少し肉あり、肩先利刀刃にて、見事、胴より下に少しギりあり。(精巧なる茶入圖あり)
(伏見屋名物茶器圖)(筆記)

平野 地藥柿上藥黑一面斑切至て細か見事なり、金気一面にあり、本糸切なり、肩の作り出来至てよし。(寸法、附属物、茶入圖あり)
(神尾家道具明細記)

平野肩衝 大瀬戸 口作薄し、上手大瀬戸なり、飴薬なし、地柿胡麻金気、片身替り、水薬あり、惣體置形黑樂、糸切細く、底まはりに水薬かゝり、疊摺にて土見事、糸切五十三。
(修庵文庫甲第九號)

平野 文政七申此方所持。(蓋の圖、茶入圖あり、その他の記事、大抵前掲伏見屋筆記名物茶器圖に同じ。)
(修庵文庫甲第七號)

平野 大瀬戸 昔、平野、昔、稲葉丹後守殿所持、今冬木へ渡、色光澤あり、高さ四寸一分、蓋四枚あり、利休、織部、遠州、石州、袋、彌左衛門かんこう、鶏頭切箱書付遠州。
(雪間草茶道惑解)

平野肩衝 古瀬戸 稲葉春翁、上田宗五、今雲州公。遠州書付。
(千家中興名物)

平野 大瀬戸 稲葉丹後守、冬木喜平次、箱春慶金粉書付挽家共、宗甫筆。(寸法、附属物の記事あり)
(草間和楽著茶器名物圖彙)

平野 元祖稲葉丹後守 鎗ノ鞘、長谷川、生駒と共に天下に四つの大せこ。袋二、蓋四枚、遠州書付。
(戸田露吟の雪間草)

平野肩衝 生駒肩衝、長谷川肩衝と共に、大瀬戸三つの内の名物なり。
(寛政二年伏見屋覺帳)

平野 古瀬戸なり。山の井、生駒、鎗の鞘、大鳥、島山と同時代なり、而して山の井、生駒とは同手同薬立なり。
(松平不昧著瀬戸陶器濫觴)

平野肩衝 古瀬戸 大名物記麒麟の部にあり。(麟鳳亀龍の鳳之部にあり)
袋、金剛切、彌惣右衛門かんごう、鶏頭切、上柳切。
(石州流過眼録)

文化十一年十月十二日正午口切 獨樂庵
 客 殿様(月潭侯)根土宗静
 主 松平不昧
 伏見屋甚兵衛
一掛物 南楚禪師墨蹟
一花入 石州一重切
一茶入 平野 袋鶏頭切
一茶碗 秋風 玉子手
(大國庵會記)

 大名物
一六條肩衝 小瀬戸 一長谷川文琳 唐物 一山の井 大瀬戸
一本能寺文琳 唐物 一神谷肩衝 大瀬戸 一圓乗坊 大瀬戸、松木盆添
一伊木肩衝 漢
一平野 大瀬戸 (以下略ス)
右天下名物也、永々大切可致者也
文化八辛未九月
出羽守殿
不昧(印)
(雲州松平家文書)

傳來
元平野某所持にして、其後稲葉丹後守より、江戸冬木こと上田宗吾の手に入り、夫より松平不昧公の購求する所となり、文化八年公が自筆の道具附にも此茶入を載せ、同十一年の口切茶會にも之を使用せり。然るに本屋了雲著の麟鳳亀龍に「平野雲州公今松井庄三郎」とあれば、其後此茶入は松井の手に見渡り、同人より更に姫路酒井家に納りたるものなるべし。

實見記
大正九年十二月五日、東京市小石川区原町酒井忠正伯邸に於て實見す。口割合に小さく、拈り返し淺く、甑極めて低く、肩キッカリと衝き、一部少し面取りたる處あり、胴張り、太き沈筋一線繞り、裾稍窄まる、底廻りに柿色の紫釉に黒釉厚く掛り、殊に肩先より一ナダレ黒色中に金氣を含みて裾の邊に達する者あり、其釉溜黒色殊に麗はし、而して此黒釉勝ちの部と紫色勝ちの部と、自から片身替りを成し茶入に一段の面白き景色を添へたり、又肩先双方より柿金氣色筋、槹の如く掛り、胴紐上に至りて止まる者あり、裾以下赤味を帯びたる水釉中に、一部土を見たる處あり、口縁一部繕ひある外、總體無疵、内部口縁釉掛り、以下總體水釉掛り、轆轤荒く繞り、底中央渦狀キッカリと立つ、氣格堂々、天正氣分を帶びたる茶入なり。

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