


松前肩衝(まつまえかたつき)
古瀬戸 大名物 元公爵 徳川家達氏 所蔵
【名称の由来】
茶入の所持者の姓を取って名付けられたものと考えられます。歴史書を調べると、天文年間(1532~1555年頃)の松前季広や、その子で元和3年(1617年)に69歳で亡くなった松前慶広などが所持していたものと思われます。
【寸法・重量】
高さ:約11.7cm(3寸8分5厘)
胴径:約7.1cm強(2寸3分強)
口径:約4.2cm(1寸4分)
底径:約4.1cm(1寸3分5厘)
甑高(首の高さ):約0.8cm強(2分5厘強)
肩幅:約0.9cm(3分)
重量:約214.9g(57匁3分)
【付属品】
・蓋:3枚(つまみの形状が2枚は古織好み、1枚は遠州好み)
・御物袋:白縮緬(しろちりめん)、紐の結び目は白
・仕覆(袋):2枚
1. 雲麒麟(くもきりん)[裏地:かべちょろ、紐の結び目:白茶]
2. 日野広東(ひのかんとう)[裏地:玉虫海気、紐の結び目:紫]
・袋箱:桐製、白木
「松前肩衝」の書き付けあり
(箱・図などの文字)
・挽家(ひけや):花梨(かりん)製、金粉の文字(松前肩衝、蓋二枚、袋二とあり、小堀将監好みのものとされる)
・内箱:桐製、白木
・外箱:黒漆塗り、金粉の文字(「瀬戸松前肩衝」)
【各文献の記録(雑記)】
・『徳川家御道具書画目録』:松前肩衝は元禄16年(1703年)8月28日に佐竹右京大夫(義処)より献上された。全体は柿色をした梨地肌で、金属的な光沢(金気)の上に黒釉が美しくかかり、腰の火間の周囲を黒釉が取り巻いている。この茶入は古瀬戸である。胴に1本の細い筋があり、肩にはむら雲のような黒く極めて薄い置形(釉薬の景色)がある。
・『玩貨名物記』:まつまへ、瀬戸肩衝、佐竹修理殿。
・『古今名物類聚』:松まへ、瀬戸肩衝、大名物、佐竹修理大夫。
・『名物記』:古瀬戸松前肩衝。佐竹右京大夫が所持し、現在は江戸城にある。紐があり、肩に補修跡がある。腰の帯は一条で、地の釉薬は栗色。蓋が1つ、袋は藤言切、挽家は黒塗り、外箱は溜塗。全体に書き付けはないが、いずれも小堀将監好みのものとされる。
・『茶器図寸法定書』:松前肩衝、佐竹右京大夫。瀬戸の地釉は栗色。口に補修跡があり、肩に破れがある。帯が一条あり、薄黒いむら雲のような置形が肩に少しある。
・『寛政重修諸家譜』:佐竹義格(大膳大夫)が、元禄16年8月28日に父(右京大夫義処)の遺物として「来国光」の刀とともに「松前肩衝」の茶入を幕府に献上した。
・『上御道具』:松前肩衝、元禄16年8月28日、佐竹右京大夫の遺物。三番御長持、袋2枚(日野広東、紫地作土金襴)、蓋3枚(内2枚は古織好み、1枚は遠州好み)。
【伝来】
もともとは松前氏のある人物が所持していたもので、秋田藩主の佐竹右京大夫(義処)に伝わりました。元禄16年(1703年)8月28日、佐竹大膳大夫義格が、その父である義処の遺物として徳川幕府(時の将軍)に献上しました。それ以来、将軍家御物(柳営御物)として今日まで伝えられています。
【実見記(大正7年の実際の観察記録)】
大正7年(1918年)11月8日、東京府下千駄ヶ谷の徳川家達公邸にて実際に拝見した。
口作りの折り返しはやや深く、肩がキリッと張っており、背が高い古瀬戸の大肩衝茶入である。胴の中ほどを一周する1本の沈み筋は、1箇所だけわずかに途切れている部分がある。全体の色合いは栗色とも言うべき黒ずんだ柿色の金気(金属光沢)を帯び、釉薬の景色(置形)には黒釉の変化が見られる。裾際は鼠色の土が見え、半月のような形で黒釉の中に潜り込んでいる箇所がある。糸切りは粗く、茶人の好みによって底の片隅が半月形に少し磨り減らされている。
ただどっしりとして、落ち着きがあり、非常に品位が高い。これを人間に例えるならば、体格が立派で大きく、温厚で口数の少ない人物と評するのがふさわしいであろう。
【原文】
松前肩衝
古瀬戸 大名物 公爵 徳川家達氏藏
名称
茶入所持者の姓を以て稱せしならん案するに、野史載する所の松前季廣(天文頃)、其子松前慶廣(元和三年歿、年六十九)などの所持せしものなるべし。
寸法
高 參寸八分五厘
胴徑 貳寸參分強
口徑 壹寸四分
底徑 壹寸參分五厘
甑高 貳分五厘強
肩幅 參分
重量 五拾七匁參分
附属物
一蓋 三枚 箆二枚ハ古織好、一枚ハ遠州好
一御物袋 白縮緬 緒つがり白
一袋 二ッ
雲麒麟(裏かべちょろ、緒つがり白茶)
日野廣東(裏玉虫海氣、緒つがり紫)
一袋箱 桐 白木
松前肩衝
(箱等・図の文字)
一挽家 花琳 金粉字形
(松前肩衝、蓋二枚、袋二)
将監好の由
一内箱 桐 白木
一外箱 黒塗 金粉字形
(瀬戸松前肩衝)
雑記
松前肩衝 元祿十六年八月廿八日佐竹右京大夫上。惣體柿地梨子地、金氣の上黒釉にて景あり、腰の火間の廻り黒釉にて取巻く、此茶入古瀬戸なり、胴に紐一筋、肩にむらく、と黒最薄く置形あり。高參寸八分五厘、肩二寸、胴二寸三分五厘、底一寸四分二厘、口一寸四分、(袋二ツ、雲麒麟裏かべちょろ、日野廣東緒つがり白茶、御物袋白縮緬緒つがり白、蓋二枚象牙裏裏鮫、裏かべちょろに銘金氣裏玉虫海氣純子裏裏鮫)。挽家花琳甲に銘金粉(松前の二字あり、袋にしき純子、御納戸茶)。箱桐白木蓋に「松前肩衝」とあり。外箱黒塗蓋に金粉にて瀬戸松前肩衝とあり。(茶入圖あり)
(徳川家御道具書畫目錄)
まつまへ 瀬戸肩衝 佐竹修理殿。
(玩貨名物記)
松まへ 瀬戸肩衝 大名物 佐竹修理太夫。
(古今名物類聚)
古瀬戸松前肩衝 佐竹右京大夫所持今御城にあり。緒ひあり、肩破れあり、腰帶一筋地藥栗色、蓋一ス袋藤言切挽家黒ぬり、上家ためぬり。惣樣書付なし、何れも將監好の由。(寸法、附屬物の記事あり)
(名物記)
松前肩衝 佐竹右京大夫。瀬戸地藥栗色、口繕ひあり、肩破れあり、帶一筋、置形薄黒くむらく、と肩に少有り。(寸法、附屬物茶入圖あり)
(茶器圖寸法定書)
佐竹義格(ヨシタダ)大膳大夫 元祿十六年八月二十八日父(右京大夫義處(ヨシズミ))遺物來國光の刀、松前肩衝の茶入を獻ず。
(寬政重修諸家譜)
松前肩衝 元祿十六癸未年八月二十八日、佐竹右京大夫遺物。三番御長持袋二、日野廣東、紫地作土金欄、蓋三枚、内二枚古織好、一枚遠州好。
(上御道具)
傳來
元松前某の所持にして、秋田侯佐竹右京大夫に傳はり、元祿十六年八月二十八日佐竹大膳大夫義格(ヨシタダ)、其父右京大夫義處(ヨシズミ)の遺物として幕府に獻上し、爾來柳營御物として今日に及べり。
實見記(十六)
大正七年十一月八日、東京府下千駄ヶ谷徳川家達公邸に於て實見す。
口作括り返し稍深く、肩キッカリと衝き、丈高き古瀬戸大肩衝茶入にして、胴中を繞る一本の沈筋は、一ヶ所少しく途切れたる處あり、惣體栗色など云ふべき黒ずみたる柿金氣色にして、置形に黒釉の景色あり、裾際鼠色土半月の如く、黒釉中に臀入せし處あり、糸切荒く、盆好好きやう片隅を半月形に磨り滅せり、只ドッシリとして大人しく品位あるまでにて、之を人に譬ふれば軀幹長大にして温厚寡默とも評すべきか。


