『堺鑑』に「世間に堺舜慶とて茶入を持弄事は此大根本当地の生にて其後尾州瀬戸にて茶入を焼、叉伊勢にても焼、故に其の所の名によりて分あれども根本この地より出たれば一事也、其子孫利休時代迄堺に居住すと也」とあります。前項参照。