姓は中山といい、対馬の陶工であります。『朝鮮方日記』には1662年(寛文二)朝鮮釜山に赴いたことが記されています。宗家に所蔵されている作品には意三と墨書きしたものがあり、だいたい深手の呉器形の丸茶碗で、薄い灰色の釉を二回掛け、釉下には鉄釉を用いた高麗式の絵の簡明な模様があります。(『釜山窯ト対州窯』)