新万古 しんぱんこ

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

明治以降三重県4日市に発達したものです。
4日市の産は古万古・安東焼・阿漕焼の系統を継いですが、明治初年に横浜との汽船の開航があって産業上有利の地となり、以来次第に隆盛に向かりました。
1878年(明治一二初めてアメリカ向け輸出品を製造した川村又助の工場が最も大規模でありました。
のちに大正万古・真生焼などの名が出ましたが、もっぱら各種の実用品でありました。
(『日本近世窯業史』『日本窯業大観』)※たいしょうばんこ

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