祥瑞の研究家。
大阪府堺市柳町に生まれ、早稲田大学文学部を卒業後都新聞社・大阪毎日新聞社に勤め、1929年(昭和四)退社して東京に移住し、母校で江戸文学を講じるかたわら人形浄瑠璃・西鶴などの研究を続けました。
わが国の磁祖祥瑞について、従来室町時代の呉祥瑞こと伊藤五郎太夫と伝えられていましたが、彼は呉祥瑞とは別人であるとし、祥瑞五郎太夫は江戸時代初期の人であると考証し、また磁祖李参平説を否定し、わが国の磁器は中国伝統であることを明らかにして『東洋美術』『陶磁』に発表しました。
1934年(昭和九)『祥瑞の研究』を刊行。
1936年(同一一)7月没、五十六歳。