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鶴田 純久の章 お話

尾張常滑の陶工浦川竹二郎、一斎と号しました。
松下三光の門人でまた寺内半月にも学んです。
彫塑か巧みで1887年(明治二〇)県下に天皇の行幸があった際、御野立所鳳翔閣の手水鉢に竜の彫刻を施す光栄に浴しました。
轆轤細工は鉄焼の急須などがすぐれていました。
晩年会津本郷焼に招かれて指導に当たったが病気になって帰郷。
1909年(同四二)4月没、五十五歳。
(寺内信一)

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