肥後国(熊本県)天草の東向寺の僧。
もと尾張国愛知郡菱野村(愛知県瀬戸市大字菱野)の人で、十一歳の頃瀬戸の加藤武右衛門のもとで陶工の徒弟でしたが、のち僧となり愛知郡一色村(名古屋市緑区鳴海町字一色)の神蔵寺におり、のち天草本村新休(天草市本町新休)の東向寺(一に天草郡孫輪ともいう)に住しました。
1804年(享和四)に加藤民吉が磁法を学ぶために九州に降った際、春井郡大森村(名古屋市守山区大森)の法輪寺の祖英長老が彼を天中和尚に紹介し、天中はその志を厚く感じて民吉を同島の製磁家植田元作に託したといいます。
(『日本近世窯業史』)