直径18mm程の陶製の球丸。
愛知県の長久手古戦場のあたりから出土し、また瀬戸の古窯址からは多くその熔着したものが発掘されます。
元亀・天正(1570-92)の戦乱に際し、未だ鉄砲の製作が幼稚で鉄丸が欠乏したため陶製の弾丸をつくったのではないでしょうか。
非常におもしろい事実であります。
このため信長・秀吉らが特別に瀬戸を顧慮したのは、単に産業の保護または茶器のことに関してだけであるとはいえないようです。
以上の説に対し、この球丸は銃丸ではなく弾弓の弾であるだろうという異論もあります。
しかし陶丸は古常滑窯址のうちの鎌倉時代末期の窯跡からも発掘されています。
銃丸または弾弓の弾であるとだけとはいえないようであります。
(『大日本窯業協会雑誌』四四『甕器の初現と瀬戸の古窯』)