出雲国意宇郡意東村(島根県八束郡東出雲町)にあった磁器窯。
1832年(天保三)または1836年の創始とする説もありますが、遺品の銘から推測すると文化(1804-18)以前の開設であります。
初めから藩窯であったかどうかは明らかでありませんが、天保頃の奉行は宅和三郎兵衛で、下役人の下に組頭石倉叉市がいて実際上のすべてを支配しました。
中心になる職人は九州から招聘し、絵師の主任として一時久村窯の木村甚兵衛が来て従業しました。
1842年(天保一三)取り締まりか乱脈であったため事業中止となり、1844年(弘化元)に取り潰しとなりました。
銘は長歳山・雲陽長歳山・意東製、または月漢画・月光画などで、中には中国製を模して「大明年製」としたものもあります。
なお意東焼閉鎖のあとを受けて金成山焼が始まり、これとは別に同村には鳩峯焼と称するものがあります。
(『日本近世窯業史』『出雲陶窯』)