1634年(寛永一二 7月11日、三代将軍家光が上洛の途中尾張国愛知郡長久手(愛知県愛知郡長久手村)の古戦場に一泊した時、その御本陣用として焼かせた茶碗であります。器は黄瀬戸釉割桜の手に似ていてその外側に長久手御本陣の字があります。当時の書家人橋長左衛門竜慶の門人某の筆と伝えられます。(『をはりの花』)