八本木窯 はちほんぎがま

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鶴田 純久の章 お話

肥前国藤津郡八本木村浜(佐賀県鹿島市浜町)にあるようで、浜山とも呼ばれます。
その創始は慶長・元和(1596-1624)の間で、帰化朝鮮陶工の起業によるといいます。
享保年中(1716-36)藩主鍋島直堅に至って特に代官を置き、従来の保護を一層厚くしました。
その結果磁器の製作が1765年(明和二)梶山八郎によって始められました。
次いで天保(1830-44)に至ると天下が大いに疲弊したため当皿山も一時休業という悲運に遭りました。
時に藩主鍋島直永は、これを遺憾として自ら資金を投じ製造すること三年を経ましたが、不幸にも全山火災に遭りました。
このため窯はまったく絶えようとしましたが、岩永平吾が再興して以来再び盛業となりました。
製器はおおむね徳利・茶碗など。
なおこの窯では古来浜山爛瓶といって口付きで、直接火上に置くチロリ式の下手物がつくられています。
(『日本近世窯業史』寺内信一)

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