埴生焼 はにゅうやき

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鶴田 純久の章 お話

越中国砺波郡埴生村(富山県小矢部市埴生)の産。
安永(1772-81)初年、同村の宮島組十村役であった太田佐次兵衛は、竹亭と号し、庭内に窯を築いて大樋焼に模した器を製しました。
その没後、孫伝右衛門が竹亭を襲号して楽焼をつくりましたが、満足せず京都五条坂(東山区)に赴いて研究すること数年、1822年(文政五)に帰村して新窯を起こしついに金星・銀星・紅茶などの品を出し、「越中ノンコ」の称を得ました。
子佐次兵衛もまた柳山と号して父および叔父柳谷について陶法を修め、もっぱら日用雑器をつくりました。
1862年(文久二)柳山が没するに及んで廃絶しました。
なお別に幕末頃、同村の牧谷嘉吉郎の創窯があったといわれるが詳かではないようです。
(『越中製陶史稿』)

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