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鶴田 純久の章 お話

名物。楽焼茶碗、赤、長次郎七種の一つ。
千利休が大阪にいて早船で京都からこの茶碗を取り寄せたことからこれを早船と呼びます。
口造りは少し抱え、腰廻りから箆目が段を成して高台際に至る。
高台はあまり高くなく、その縁に五徳目が二ヵ所あります。
一方の腰以下で、黄味を帯びた赤釉と、他の一方の口縁の下から高台全面にかけての青鼠釉とが片身替わりを成し、さらに胴体には粉が吹いたような蛇娼釉の景色があります。
また一部に釉がかせたところもあるようで、釉質の変化が多様な長次郎の作品中でもなお無類ということができましょう。
内部は一面に赤釉が掛かり、五徳目が五つあります。
内外ともに釉色の光沢が麗しく、七種のうちでも古来最も有名な茶碗であります。
初め利休が所持していた時、蒲生氏郷・細川三斎・古田織部の三大がこれを所望し、のちに氏郷に与えられたといいます。
その後京都の大文字屋宗夕に伝わった時、京都の桔梗屋文右衛門は銀八貫目、京都の道具屋は千両、大阪からは千二百両でこれを求めようとして来たがついにその望みを達し得なかりました。
さらにその後京都の矢倉九右衛門が所持した際、松平不昧がこれを懇望したが果たされず、1876年(明治九)大阪の道具商戸田露吟の買い取るところとなり、1880年(同一三)春金沢の亀田是庵に譲り、のち亀田より藤田家に人りました。
現在は畠山記念館蔵。
(『古今名物類聚』『茶器名形篇』『本朝陶器孜証』『大正名器鑑』)

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