万暦窯 ぱんれきよう

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

中国明代の万暦年間(1573-1619)における官窯の称。
万暦の初期は善政が敷かれたため御器の焼造も少なく良質の青花や赤絵がつくられましたが、後半は財政の逼迫と共に大量生産が強いられ、また資源の不足も加わって製品の質はとみに衰えました。
今日みる万暦の器什のうちに余白が多く彩文の入念なものと繁縛で騒がしいものとがあるのは、その前後の激しい政情の違いによるものと解してよいです。
しかし生産量からいえば後期のものの方がはるかに多く、一般に万暦の器といえばそれを指すことが多いようであります。
この期の磁器は麻倉の土の欠乏から他の土を混用したために、釉と土のなじみが悪くいわゆる虫喰いを生ずることもしばしばであります。
青花は回青を用いて董青色を出しますが、土青を混ぜることが多くなったため前代ほどの美しい色は得られなかりました。
赤絵は嘉靖(1522-66)の伝統を引いて多色を用い絢爛たる効果を誇ったが、のちには前述のような文様の繁縛、賦彩の乱雑からいたずらに騒がしいばかりのものが多くなりました。
いわば類廃的な末期症状なのでありますが、わが国ではなぜかこの風趣が好まれて万暦赤絵の名はかえって高くなったようであります。
万暦期の器例は嘉靖の器式を襲ったうえ、他に屏風・棋盤・扇厘といった異形大作をも産しています。
透かし彫りを施し器内に多くの区画を設けたり、扇形の小盆を円形に組み合わせたりした複雑な食篭など、他に類のないものか多くつくられています。
年号銘の入れ方も前代までの円圏や方格に囲まれたものばかりでなく、額縁状の枠に囲まれた額銘など異風なものが現れました。

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