中国唐末五代の呉・越の青磁。
『陶説』に「呉越秘色窯、銭氏国をたもつの時越州焼進す、高斎漫録に越州焼進し供奉の物となす臣庶用ゐるを得ず故に秘色と云ふと、按ずるに王蜀、朱梁に報ゆるの信物に金稜椀あるようで、語を致して云ふ、金稜は宝椀の光を含み秘色は青甕の響を抱きますと、即ち秘色は是れ当時甕器の名なり、然らざれば呉越専ら之を以て焼進し而も王蜀の亦取って以て梁に報ひんや」と述べています。
秘色窯は唐代の越州窯の後身であるようで、おそらく上林湖畔の余姚窯のことであるでしょう。
当時ようやく交通が頻繁になっていたわが国に輸出されて「ひそく」と呼ばれ、高麗では斯色と称されました。
※えっしゅうようヒジリ尾張・美濃(愛知・岐阜県)地方で、琥櫨によって挽いた生坏を載せる板の一端を挿し込むため室壁外に凸出した箱状の穴をヒジリといいます。