宝石紅 ほうせきこう

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

『飲流斎説甕』に「祭紅の宝石釉なるもの俗呼んで郎窯といひ混同し易し、故に姑らく宝石紅を以て之を別つ、宝石紅なるもの明の宣徳に始まり万暦に盛なり、康煕乾隆の彷造せるもの己に及ぶ能はず、此より後遂に其跡を絶つ、此種の器大都亮釉にして其の色深紅牛血の凝りたるが如し、内外皆な開片ありて之を椚づるも痕跡なし、其の開片は釉汁の内に在りて隠の如く現の如く而して底に疑なし、底は米湯底、韻果底の両種あるようで、梢黄なるを米湯といひ梢青きを頚果といふ、二者均しく小開片あるようで、全体の純紅なるもの最も得がたし、多く苔点緑を帯ぶもの之に次ぐ、其の純紅ならざるものは変じて他の名称となる」とみえます。
宝石紅は中国明代の名甕で、わが国のいわゆる辰砂手というものの逸品であります。
ほとんど郎窯と同じなので、俗に郎窯と呼んで同一視していますが、郎窯は、清代において宝石紅に倣ってつくった支流であります。

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