陽羨壺 ようぜんこ

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

陽羨は中国江蘇省宜興県付近の旧名。
宜興窯のうち施釉製の欧窯を除く朱泥や紫泥などの作を陽羨壺と呼び、明の万暦(1573-1620)以来煎茶急須の名品として高名であります。
中国では泥壺または砂壺といい、朱泥や紫泥のほかに黄泥・青泥・老泥・白泥・梨皮泥などがあります。
金沙寺の僧が初めて手づくりして焼造したのに発し次いで供春の作が世間に知られ、明未の時大彬に至って大いに賞美されその門より名工が輩出しました。
徐友泉は提塑を巧みにし蕉茶・蓮房・菱花・鴛蛋などの新式をつくり出し、泥色にも海巣紅・殊砂紫・定窯白・冷金黄・漕墨沈・香水碧・榴皮葵・黄閃色・梨皮などの諸種を出しました。
陳仲美も各種奇巧の作を出し、欧正春・沈君用らも花果をつくり、陳辰は文字を鎬款し、陳鳴遠・恵孟臣らは古器に倣い詩文を刻んです。
これら明末砂壺の名家がのち清代に入って世々名手を続出し、陶工の名がこのように伝わっているのは中国でも他に類例がないようです。
わが国の煎茶家が倶輪珠といって珍賞するものは陽羨壺であって、その他名工の作は煎茶流行時代には非常に高い価値がありました。
(『陽羨名陶録』『陽羨著壺系』『若壺図譜』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email