牛頚古窯址群 うしくびこようしぐん

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鶴田 純久の章 お話

福岡県筑紫郡大野町を中心に、一部同郡春日町にまたがる地域に分布する須恵器窯跡群。
旧行政区分によれば窯跡の分布範囲がほぼ御笠郡牛頚村に相当しますので、牛頚古窯址群と呼ぶことになりました。
窯跡群の規模はいまだ全域にわたる徹底した分布調査が行われていないので厳密にはわかりませんが、これまでに五十三基以上の窯跡が確認されており、筑前地方における代表的な須恵器窯跡群の一つであります。
既発見の資料によれば成立年代は六世紀中頃をさかのぽらないですが、今後の調査によっては新たに六世紀代前半に属する窯跡がみつかる可能性をもつ。
この須恵器窯跡群は六世紀以後も引き続き操業されましたが、八世紀に入ってほぼ最盛期を迎えました。
窯跡の散在する丘陵に隣接して有名な太宰府がありますが、牛頚古窯址群で生産された製品の多くは太宰府関係へ供給されていたものと思われます。
牛頚古窯址群における製品の種類は蓋杯・高杯・鉢・器台・各種壺・甕類などで、奈良時代にはこの他に椀・盤・皿類・瓶などが加わり、一方では器台・ある種の壺類などの器種が衰退または消滅しました。
器形にはかなり強い地方色が認められますが、器種の基本的な組み合わせは他地域の場合とほとんど変わらないようです。
またこの窯跡群中の大浦二号窯では、須恵器と一緒に瓦の焼成も行っています。
この窯跡から出土した平瓦の内外面には、平行叩目文・同心円文を残していますが、これは須恵器の成形に用いた原体(叩き道具と当て道具)と同一物であります。
大浦二号窯の年代は七世紀前半にさかのぼりますが、この時期に相当する寺院跡はいまだ九州では発見されておらず、この窯で生産した瓦の供給先は今のところわかっていないようです。

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