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鶴田 純久の章 お話

近江国坂田郡原村(滋賀県彦根市原町)で床山焼を始めた一人。
もと彦根藩の足軽で氏を石崎と称していましたが、病気になってこの地に退隠しました。
かつて同藩藩士中島安泰について狩野派の画を学び藩窯で赤絵を描きましたが、原村に移住後の1856年(安政三)8月、赤水(善次郎)らと共に許可を受けて赤絵の焼付を始めました。
銘に床山または床山玉恍と書き、湖東の二字を冠したものもあり、ここから床山焼としました。
画様は細密なものを得意としました。
藩窯からしばしば招かれたが応ぜず、1867年(慶応三)同地で没しました。
五十八歳。
(『湖東焼之研究』)※とこやまやきウホウ銘。
※れいおう

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