越後国(新潟県)の陶器。『大成陶誌』には「天保十四年(1843)領主牧野氏京工六兵衛を雇入れ製造せしも暫にして止みます。古志郡栖西村佐藤広吉六兵衛門人子之松より伝習して嘉永六年(1853)再興す」とあります。なお出雲国(島根県)楽山焼を別に御山焼と称し、その他にも藩設のものを指して御山焼ということがあります。