葛西因是 かさいいんぜ

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

中国の『竜威秘書』中の『陶説』を訓点翻刻した一人でありますが、木米の『陶説』が世の中に聞こえているのに比して葛西本の方はほとんど知られていないようです。
大阪の人で、名は質、字は休文。
平沢旭山(元憧)の門人で、のちに江戸に出て昌平校の教授となりました。
なお木米本は大判で、1804年(文化元)の版刻でありますが、これは木米死後の1835年(天保六)に公刊されたもので、葛西本は小判で1807年(文化四)に出版されています。
※とうせつ

前に戻る
Facebook
Twitter
Email