Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

所蔵:根津美術館
高さ:8.2cm
口径:15.8cm
高台外径:5.5cm
同高さ:1.5cm

 雨漏茶碗といえば、まずこの蓑虫を連想するほど有名な茶碗です。銘はこの茶碗のしみ(景)にちなみ、藤原良径め「ふゐさとの板間にかゝる蓑虫の漏りける雨を知せ顔なる」によってつけられたものです。まことに雨漏の代表的名品とうたわれるにふさわしく、内外にわたって、あるいは濃く、あるいは淡く、うす紫に、またうす茶に、自然のしみの色あい、変化をきわめます。布置また、人工の及びがたい妙を尽くして。茶趣横溢します。
 茶人の感覚は、作ゆきや釉肌において、轆轤(ろくろ)目、高台造り、脇取り、なだれ、釉だまり梅花皮(かいらぎ)、貫入、縮緬皺、目、火間、掛けはずし、指あとなど、かずかずの見どころをとりあげ、そこに新しい美を発見していますが、さらに、茶碗生得の範囲を超えて、その後天的な生い立ちの道程において生じた、いわゆる時代美についても、茶人は仔細に審美眼を働かせ、積極的に景としてとりあげます。その最適の例が雨漏です。雨漏すなわちしみの美というをのは、日本人には感覚的に理解されやすいもので、「羅は上下はづれ、螺鈿の軸は貝おちて後こそいみじけれ」(『徒然草』)などと通じる趣がありますが、「調ほりたる」(同前)美ではなく、いわばこういう破調の美ともいうべき時代美に心をひかれるのは、日本人には生得的なものです。茶人が、いわゆる雨漏に景を見いだす感覚も、ひっきょう日本人本来の好みに基づいたものといえます。
 蓑虫は、手取りざんぐりとして、軽くやわらかく、土物ふうではありますが、釉がよく溶け、作ゆきも薄手のところは、やはり古堅手だちというにちかい。井戸などに類して、土見ずで、轆轤(ろくろ)目立ち、脇取り回り、高台は竹の節、底内には兜巾が立っています。小服ながら、随所に見どころがあります。かりに雨漏の景を措いても、名碗と称してよいです。外面は、轆轤(ろくろ)目荒く、胴には火間あり、ぬた引きの細筋もみられ、高台には釉の掛けはずしがあります。潤みをもった釉肌はやわらかく、貫入も荒めです。裾から高台内外にかけては、一面に井戸を思わせるようなみごとな梅花皮(かいらぎ)が出て、大きな見どころの一つとなっています。しかし、蓑虫最大の見どころというべきは、なんといっても、内外にわたって釉肌一面に現れた、大小さまざまの雨漏の景です。その偶成による色あい深い魅力の発見は、茶人の大きな功績として賛えてよい。いってみれば、晩秋名残りの茶趣を心ゆくまで満喫できる茶碗が、この蓑虫といえましょう。見込みには目四つ、ご胴央から見込みにかけて縦貫入が一本あります。
内箱 蓋表書き付け 松平不昧「高麗 茶碗 蓑虫」同蓋裏色紙 筆者不詳「月清集上 ふるさとの板まにかゝる蓑虫のもりける雨をしらせかほなる」
外箱 銀粉字形「みのむし」
 伝来は、もと江戸浅草青地家蔵、大正九年の同家蔵品売り立てで、根津青山(嘉一郎)の手に入り、その後昭和十六年、根津美術館の設立とともに、同館蔵品となり今日に及んでいる。
(満岡忠成)

蓑虫 みのむし

蓑虫
蓑虫

名物。朝鮮茶碗、雨漏堅手。
茶碗の雨漏のような浸み模様から「ふるさとの板やにかかる蓑虫のもりける雨を知らせかほなる」(月清集)の歌意に因んでこのような銘としました。
江戸札差青地家所持。
1920年(大正九)同家売立の際三万三千九百円で根津嘉一郎家に落札。
現在根津美術館所蔵。
(『大正名器鑑』)

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