
京都の古陶。大体仁清以後、頴川以前のものを指称する。この地の陶器は起原は古いが進歩発達したのは仁清以後である。後世には粟田の陶器と清水の磁器とに分かれたが、いわゆる古清水はひび釉をかぶり、地色は純白でない。色絵も行なわれたが後世の磁器とは趣を異にしている。清水系の旧地は音羽方面なので工人にも音羽屋などという者がおり、銘印にも「音羽」とあるものがある。
※きょうやき※きよみずやき
京焼の一種。一般的には、野々村仁清以後 奥田穎川(おくだ えいせん:1753~1811)以前のもので、仁清の作風に影響されて粟田口、八坂、清水、音羽などの東山山麓や洛北御菩薩池の各窯京焼諸窯が「写しもの」を主流とする茶器製造から「色絵もの」へと転換し、奥田穎川によって磁器が焼造され青花(染付)磁器や五彩(色絵)磁器が京焼の主流となっていく江戸後期頃までの無銘の色絵陶器を総称します。
幕末に五条坂・清水地域が陶磁器の主流生産地となり、この地域のやきものを「清水焼」と呼び始め、それ以前の色絵ばかりでなく染付・銹絵・焼締陶を含む磁器誕生以前の京焼を指して「古清水」の名が使われる場合もあります。