加藤利慶 かとうりけい

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鶴田 純久の章 お話

名古屋の雅陶豊楽焼(豊助焼ともいう)の初代。
五代以後は大喜を姓としていますが、それ以前は加藤でありました。
名古屋の上前津隠里(中区上前津町)に住み、楽焼きと土風呂をつくって藩の御焼物師となり、1796年(寛政八)2月に没しました。
その創始年代は判然としませんが、熱田神宮に何かを奉納した時に付けて出した青楽の名刺(厚さ六ミリ)に「奉上御神前、寛政六寅8月19日、御焼物師加藤利慶」と刻してあるのが今に残っています。
※とよすけ

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