永楽保全の銘印。
保全が文政年間(1818-30)紀州侯徳川治宝に招かれて偕楽園焼を始めた際、この印(その印裏に西園の二字を加える)および永楽の銀印とを賞賜されました。
河演支流という号は「舜河酬に陶す」という故事に因むもので、保全の子和全もまたこの号を用いたか、父の印は楷書、子の印は篆書風のものだといいます。
また別に保全は単に「河演」という印をも用いました。
しかし一説には紀州侯から印を賜ったのは了全だともいい、その年代にも異説があります。
(『日本近世窯業史』『陶磁』三)※かいらくえんやき※ほぜん※りょうぜん