北島源吾 きたじまげんご

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鶴田 純久の章 お話

肥前有田赤絵町十六戸の一人。
安永(1772-81)頃から特殊な製品をつくらせて対馬の宗家の手を経て朝鮮に輸出しました。
このことは1820年(文政三)公許となり専売権を得ました。
器は主として盤蓋器(飯蓋器とも書き十八揃えの大白金福膳部通)と称する朝鮮での高級品で、錦付で普通一組八十両の値を呼んです。
明治の北島栄助の代までこの朝鮮貿易を行ないましたが、栄助は文筆の才があったのでのちに佐世保軍港新聞社に入りました。
その著に『日本陶磁器史論』があります。
1934年(昭和九)11月24日没。
(寺内信一)

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