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鶴田 純久の章 お話

大名物。漢作、茄子茶入。名称の由来は不詳。『津田宗及び茶湯日記』天文十九年(1550)の条にもみえ、すでにその頃からこの名があったことがわかります。紫色と黒釉が交錯し光沢は麗しく景色の変化がいいようもなくおもしろいです。胴中から少し下って火間があります。
天文十九年頃は松本宗不の所持。その後九州の吉永四郎を経て豊臣秀吉の蔵となりましたが、油屋常言が油星肩衝を献じた際その代わりとしてこの北野茄子と鳥目三百貫を下賜されたといいます。
以後堺の妙国寺(開基日胱は常言の子)に伝わり、同寺五世の日現に至って銀四十五貫余で堺の町人西宗真に譲られ、宗真ののちに九郎兵衛から伊予松山藩士奥平藤左衛門が金一千一百両でこれを買い取り、藩主松平隠岐守定直に献じました。
1720年(享保五)12月定直の子定享が襲封御礼として幕府にこれを献じ、以来徳川宗家に伝来。(『津田宗及茶湯日記』『大正名器鑑』『堺市史』)

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