初期伊万里 しょきいまり

Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

最も古い時期の伊万里焼(いまりやき)。17世紀初頭、有田の泉山で磁器原料となる陶石が発見され、日本の磁器の創業期を迎えました。
天神森窯、山辺田窯、天狗谷窯、百間窯などそこで焼成された白磁、染付、青磁を「初期伊万里」と呼んでいます。
皿の器形は高台が口径に比べて非常に小さく、底の中央をえぐるように削り出しています。
また底には砂の付着したものが多いようです。
染付の文様は自由奔放な筆致で力強く、しかも雅味に富んでいます。
当時すでに中国から日本に輸入されていた古染付や祥端文などの影響が考えられます。

 

戦後有田窯址の発掘調査が進むにつれて提唱されだした時代用語で、古伊万里のうち特に元和・寛永(1615~44)から寛文(1661~173)頃までのものを指す。染付が多いが、絵付のすぐれていることや呉須の発色の美しいので近年非常愛好されている。また従来藍九谷と呼ばれた手や、吸坂手あるいは古九谷の証とされる太明銘や誉字銘の破片の出土をみたので、古九谷との異同の問題で、斯界に大きな論争の渦を巻き起こしている。

前に戻る
Facebook
Twitter
Email