出雲国(島根県)楽山焼の創始者。
もと長門国(山口県)萩焼の坂高麗左衛門の門下でありましたが、1677年(延宝五)松江藩主松平綱隆に招かれ、当時銀十枚四人扶持を賜わって楽山焼に従事。
また別説によれば権兵衛の出雲入国を1679年(同七)三代綱近の時としています。
権兵衛は楽山窯に従業すること十八年(一説に一六年)で、1694年(元禄七)没。
名手で特に伊羅保写しにすぐれていました。
子権斎がいたが幼少で御焼物師になることもできず、給米十俵二人半扶持を給与されて御坊主を仰せ付けられ、以後六代勝蔵に至るまで御徒の職のままで終わりました。
そこで門弟加田半六がこれを継ぎ楽山焼二代を称しました。
(『陶器考』『本朝陶器公証』『松平不昧伝』`『出雲陶窯』)※らくざんやき