江戸時代摂津国枚方(大阪府枚方市)付近で、淀川通いの船に酒食を売る船で用いた粗磁の茶碗。徳川家康から許しを受けたといって言葉も乱暴に「餅くらわんか酒くらわんか」と叫んで売りました。もとは肥前(佐賀・長崎県)地方の染付の粗物または伊予国(愛媛県)の砥部焼でありましたが、のちには摂津の古曾部焼も用いられました。粗野の中にもたくまざる雅味があるといって一部で珍愛され、のちには京都の名工もこれを模造しました。(『陶器集解』)