中国明代弘治年間(1488-1505)の景徳鎮の官窯をいいます。
この窯の特色は優秀な黄色釉にあるようで、その色調は、最良のものにあっては水仙の黄色のようであるようで、また黄色の葵の花弁のよ夕であるともいわれます。
ブブソエルに従えばこの黄釉はおそらく鉄を用いたもののようで、後世禁色となった帝皇色の先駆けだといいます。
帝皇色の窯器はだいたい飯碗あるいは蓋托形の皿で、底部に青花で弘治の六字年款のあるものであります。
全然文様のないもの、または釉下に五爪の龍と雲形を彫ったものもあります。
『歴代名磁図譜』に載る数個の弘治窯器はほとんど黄色釉であります。
その色調は前記のほかに黄玉の色すなわち焼瓜と形容されるやや濃厚なものがあります。
弘治窯がこのように黄色を重んじ、その前後を通じて普遍的な青花をあまり顧みなかった理由の一つは、おそらく成化(1465-87)以後の良質のコバルトである蘇泥勃青の供給が絶え、貯蔵もまた尽きかかったという事実によるのであるでしょう。
(尾崎洵盛)