鶴田 純久
鶴田 純久

重要文化財
高さ:7.7cm
口径19.4cm
高台外径:4.9cm
同高さ:0.7cm

南宋時代、福建省の建窯で作られた、縁の外側に反った碗で、内外全面に大粒の油滴が、みごとに浮かんでいます。建窯の窯地には、無数の天目片が、畳々と丘を築いているそうですが、その大部分は茶碗片です。茶碗以外にはこの碗と同じくらいの鉢片と径10cmほどの小碗の二種が落ちているだけで、それ以外の破片は発見されないということです。
建窯の鉢は、遺品の少ないもので、かつて偶目したのは数点のことです。油滴天目の鉢は特に少なく、私の知る限りワシントンのフリーヤ美術館にあるのとこの碗の二点だけで東西の双璧とされています。素地・器形・作ゆきはほぼ同じですが、フリーヤ美術館の油滴は粒が小さく、静嘉堂のこの油滴は粒が大きいです。またフリーヤのものは底裏に刻銘がありませんが、この碗は高台裏に「新」の一字が刻してあります。
油滴天目は’曜変天目に比べますと、遺品の数の多いもので、特に華北一帯の窯々で作られた油滴は、かなりに多く、茶碗のほかに壺・瓶・甕などもあり、時代も下って明・清のものも、近世のものもある、建窯の油滴は、華北の窯々の油滴に比べるとはるかに少なく、茶碗も数点伝世しているだけです。
油滴というのは、窯の火度が高くなりますと、釉面が煮えてぶくぶくと泡を吹き、その泡が揮発してへこんだどころに、釉面の鉄のさびが集まって出来た鉄の結晶です。これがその時とほぽ同じ温度でゆっくりと冷えると油滴になりますが、それより火度が高くなりますと、流れて兎毫蓋、俗にわが国でいう禾目になります。建盞には禾目だとか、さらに火度が高く、柿天目になったもののほうが多いですが、油滴の状態に停止したものはきわめて少ないです。
油滴の粒の大きさは釉薬の厚さによって決定されます。釉薬が厚いと貫入が荒く薄細かいのと同じように、油滴も、釉薬が厚いと大きい粒になり、薄いと小さい油滴になります。ともに稀世の名品とされていますが、静嘉堂の油滴は粒が大きく、フリーヤ美術館の油滴が小粒であるのは、それは釉薬が薄いためです。
同じ油滴でも、華北の油滴は茶かっ色を帯び建窯の油滴は青黒い感じがします。これは、華北の窯々は石炭で焼くために、酸化炎焼成のものが多く建窯は薪で焚き還元ぎみのものが多いためでもありましょうが、ひとつには建盞の釉薬にはコバルトのような爽雑物があるため、油滴・曜変の釉薬はほとんどすべて漆黒に近いです。
この碗も、やや鉄分のある土に漆黒の釉薬が厚くかかり内外全面に大きな油滴がみごとに浮かんでいます。作りは分厚く口は広く縁は外側にわずかに反り腰がそげて小さい低い高台がついています。
高台内は浅く削り込んでありますが、「新」の字が刻してあります。建窯の窯跡からは、底に正・申・州・劉・供御・禾・大・一・二・四・八・呉・本・黄・進琉・新などの、刻銘のある天目片が発見されていますが、「新」が何を意味するかということは、今日まだはっきりとしていません。
(小山冨士夫)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email