Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

高さ:8.7~8.8cm
口径:11.7~13.0cm
高台外径:6.7cm
同高さ:1.2cm

俗に、わが国で古染め付けと呼んでいる焼き物は、明末の天啓年間(1621~1627)に江西省の景徳鎮で作られたものとされています。天啓年間は明末の乱世で、地方には群賊が跋扈し、天啓五年には清の太祖が、都を瀋陽に建てて明を脅かし、天下は騒然としていた時代です。
この時代に、景徳鎮で作られたものは、万暦の焼き物に比べ、作ふうが乱れ、一言でいって、粗製乱造のものが多いです。しかし見方によっては、天馬空を行くような天啓の染め付けや色絵は、他の時代のものに見られないおもしろさがあり、愛陶家を喜ばせています。
天啓は、わずか七年間ですが、この間に作られた古染め付けは、驚くべき量がわが国に輸入されています。北は東北、北陸地方から、南は四国、九州の各地に散在する古染め付けは、莫大な数量で、何万、何十万という数です。
しかし世界を眺めて、古染め付けが伝世しているのは、わが国だけです。天啓の前の万暦や、後の崇禎と思われるものは、中国にもかなり遺品があり、フィリピン、東南アジア、遠くエジプト、トルコなどにも、相当渡っていますが、天啓の古染め付けは、日本だけにあって、世界のどこにもないものです。
古染め付けには、当時、雑器として量産したものと、日本からの注文で作った茶器。懐石用の食器とあります。数からいえば、むろん量産されたもののほうが多いですが、古来、わが国で珍重しているのは、日本から注文して、作らせたものです。高砂手・菱口・算木などの花いけ、桜川・竹の絵・桶側・葡萄棚・芋頭などの水指、辻堂・兜巾茄子・寄々鳥・桔梗・引捨牛・立唄などの香合、いろいろの手の火いれ、鉢、向付などは、すべて日本から注文して、作らせたと思われるもので、胴に菅笠を描いたこの茶碗も、その一例です。
古染め付け笠の絵茶碗は、遺品の少ないもので、かつて偶目したのは、この茶碗だけです。
素地は純白に近い磁質で、これに透明性の白磁がかかり、釉下に土青、すなわち中国産の呉須で、菅笠を六つ散らしてあります。その構図も巧みですし、分厚い縁に呉須をめぐらした上に、さらに鉄絵の具をぐるっと塗り、強く縁を引き締めているのは、気がきいています。
作りは厚く、形は上胴を締め、下胴を張らし、低くて大きい高台のついた、いかにも日本から注文して、作らせたと思われる形です。
内面には、見込みに草花紋を散らし、畳つきは露胎で、底は浅く削り込んであり、見るからに、どっしりとした感じの茶碗で、手取りも重く、強い感じがします。
古染め付けは、虫食いのあるのが一つの特徴とされていますが、この茶碗に虫食いのないのは、縁が分厚くまるみをもっているためで、この点でも、古染め付けとしては珍しい茶碗です。戦前、鋭意古染め付けを集め、古染め付けでは、日本一の収集と評されている佐藤コレクションの一つです。
(小山冨士夫)

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