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鶴田 純久の章 お話

根津美術館
高さ:7.6cm
口径:9.2cm
高台外径:6.7cm
同高さ:1.2cm

祥端と呼ばれる染め付け磁器は、古来、茶方で染め付けの極上として、格別珍重されているところですが、その純白細臓の素地や、鮮美明麗な藍の色合い澄明滋潤な釉調は、まさに染め付けの質として、最高をゆくものというべく、器形や、紋様における意匠の妙と相まって、茶方随喜の賞玩を博したのも、ふたおき蓋置宜なりといいたい。その種類は、茶器・茶碗・香合・水指・はちとくり・巾筒・向付・鉢・皿・徳利・酒杯など、もっぱら茶事用の茶道具・懐石道具に限られており、ときに「五良大甫呉祥瑞造」在銘のものがありますので、銘の有無を問わず、広くこの類を、祥瑞と呼びならわしています。
元禄七年編の『古今和漢諸道具見知紗』には、祥瑞について、「祥瑞染め付け、上々の物也、是は南京道具のうちすぐれてよき物を祥瑞と云也」としるされていますが、すなわち自明のごとく祥瑞は、中国における製陶の本場たる、江西省景徳鎮窯で焼造されたものです。
用途が、日本特有の茶事向きに限定されている点は、形物の、いわゆる古染め付けと軌を同じくするがことに蜜柑ヘコミ水指や沓形茶碗のごときは祥瑞が純然たる茶事用道具として作られたことを、いよいよ囃然たらしめるもので、すなわち、日本からの切り餌による注文品とされるゆえんです。その年代については、紋様の要素や、高台作りや、茶器としての好みや遠州箱書きのものがある点などから、ほぼ、明末清初のいわゆる過渡期の時代に当たることが推量されます。ここに、何よりも有力な決め手となる貴重な遺品として、芦屋滴翠美術館所蔵の、大明崇禎捌年銘の巾筒があげられます。これによって、天啓の古染め付け茶器に次いで登場したものが、祥瑞であったことが察せられる、形物の古染め付けは、ずいぷんと厚手ですが、祥瑞も、いったいに厚手です。これは和物の茶陶の作ふうを、まねようとしたためですが、かの地の工人としては、かっての違うら、ことに古染め付けでは、かなりぎごちなさが見られます。しかし、祥瑞では、厚手なが、釉調もとより滋潤、祥瑞茶碗の申で、かくも気品に点から洗練味も加わって、それほどぎごちない感じもなく、入念な手法による精技が、よく器格を高めています。
次に「五良大甫呉祥瑞造」の銘ですが、これは、古来、茶方では、邦人祥瑞五郎太夫が渡明かして、かの地で作ったおりの銘と説かれていましたが、近年、斎藤菊太郎氏の研究によれば五良大甫は呉祥瑞の呼び名と解され、要するに景徳鎮の陶症、呉祥瑞の作たることに帰するようで、景徳鎮には、呉姓の陶家が多い由です。
さて、この茶碗は、祥瑞水玉の名で著聞していますが、鮮麗な藍唐草の中に、浮き出るように白く抜けた丸紋一〇個は、すこぶる印象的で、意匠として上々と称したいです。口辺下と高が側面には、線彫りの帯の弘ちに、それぞれ胆和ふう、あるいは唐草ふうの纏彫りが、めぐらされて、淡く藍ダミが施されています。胴の藍唐草も、筆致蕊落で、雅味豊かですが、上下の瑠璃地また旛洒の気を添えて富んだものは、また少ないといってよい。口辺零路紋も、筆致すこぶる軽妙です。高台は、入念に削られて、蒲鉾形になり、点々と砂がついて、いわゆる祥瑞のごま土を呈しています。釉ぎわは、内外とも一文字に削られ、高台内には、「五良大甫呉祥瑞造」の銘がありますが、その銘ぶりは、特にすぐれています。また見込みには、灰が多少降りかかっています。
(満岡忠成)

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