小林逸翁 こばやしいつおう

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鶴田 純久の章 お話

実業家。1873年(明治六)1月、山梨県北巨摩郡韮崎町(韮崎市)に生まれた。小林甚八の長男、名は一三、慶応義塾を卒業後三井銀行に入り、名古屋支店在勤中に高橋箒庵の勧めで茶に志した。のち阪神急行電鉄を創立し、また宝塚少女歌劇団を経営した。1936年(昭和一一)大阪池田市の5月山麓に洋風の新邸「雅俗山荘」(益田鈍翁の命名)を設けて茶事三昧に過ごすと共に、阪急百貨店に茶室福寿荘を設け、美術街を開き、また大阪の古美術商を糾合して美会を組織させた。表千家流茶道を学び、雑誌『日本美術工芸』「大乗茶会記」を連載して、茶道家元制の改革を論じ、美術商品の不当利得などについて批判した。著書には『雅俗山荘漫筆』四冊のほか『新茶道論』など随想・評論が多い。彼の美術蒐集品は書画とやきものが大部分を占め、その没後「雅俗山荘」は彼の収蔵品五千点を中心に財団法人逸翁美術館として発足した。重文・伝狩野山楽「豊臣秀吉画像」、重文「大江山絵巻」をはじめ、朝鮮李朝・中国明代などのやきものの名品が多い。1957年(同三二)1月没、84歳。葬儀は宝塚大劇場で営まれ、遺影の前には遺愛の天目茶碗で茶が供された。

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