西浦窯 にしうらがま

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鶴田 純久の章 お話

周防国佐波郡西浦村字新地皿山(山口県防府市西浦)の陶窯。1851年(嘉永四)荻の陶工吉田与左衛門(土作と称する。1817、文化一四年生まれ。1884、明治一七年没)が、この地の庄屋松田貞右衛門の招きに応じて同村前岡山に築窯したものである。当時の作風はすこぶる古拙で雅致に富み、灰緑釉風のものに呉須染付で山水模様・竜文などを入れたものがある。茶器というよりも多くは日用容器類であった。なおこの頃小畑窯の吉田道亭が来て滞在したことがある。続く二代吉田陶作(1851~、嘉永四年生まれ。1914、大正三年没)の時代になって初めて世俗で西浦風と称する赤絵の上絵付を創始した。用色は赤・緑が最も多く、まれには金銀彩を施し、文様は唐草文・竜文などで極めて粗朴である。陶作は晩年大阪に出て製陶に従事したと伝えられている。三代を吉田東一(1870~、明治三年生まれ。1932、昭和七年没)といい、父祖の業を継承したが、すでに陶業不振の時勢でついに廃業するに至った。東一の特技は彫刻的手法で種々の図様および風流詞句を入れることで、中には非常に優秀な作品がある。原料は大部分を大道村大原(防府市台道)付近の陶土を移入し、釉薬は同じく大道村大海の石を使用した。1930年(昭和五)以来同村小茅に上村福次郎(号不空)が西浦窯の再興を図って開窯し、独特の鶏血焼を製作していたが、系統はそれまでの西浦焼とはまったく異なったものであった。(小川五郎)

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