西浦円治 にしうらえんじ

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鶴田 純久の章 お話

美濃国土岐郡多治見(岐阜県多治見市)の陶家。
祖父加藤(西浦)円治は文政年間(1818~3O)恵那郡大井(恵那市大井町)の窯四つの営業権を譲り受け、次いで美濃窯元取締役を命ぜられ美濃焼の名声向上に大変尽力した。明治年間の円治父子に至って吹き絵および置上模様を発明し、また巨資を投じて工場を改築しさらに陶器陳列場を設けるなどますます美濃焼の発展を図った。早虹伊羅保虹より美濃磁器の輸出を始め商権をほとんど一手握ったともいう。なお1888年(明治二一)中央線敷設に際しトンネル用赤煉瓦を製造し、ま同地に虎渓焼を始めた。三代円治は1884年(明治一七)八月没、78歳。四代五郎兵衛は1914年(大正三)四月没、59歳。(『岐阜県産業史』『日本近世窯業史』)

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