道阿弥肩衝 どうあみかたつき

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鶴田 純久の章 お話

大名物。漢作肩衝茶入。
大寂びの茶入で、甑際に一線を巡らし、胴に沈筋一本、肩先から滝のように掛かった飴色の釉なだれは裾のあたりに至って次第にすぼまり、末は蛇娼釉を交えて盆付までだらだらと流れ、露先は厚く玉を成しています。
このほか茶入全面に白鼠釉が浮いて飛び交うような景色があります。
初め徳川家康所持、1600年(慶長五)山岡備後守景友(号道阿弥)が賜ったのでこの名があります。
道阿弥の死後再び家康の手に戻り、その後南部信濃守利直(1610、慶長一五年)、幕府(1623、元和九年)、南部重直(同年)、幕府、牧野佐渡守親成(1665、寛文五年)、幕府(1673、延宝元年)を経て、1680年(延宝八)甲府公徳松が将軍家綱の遺物としてこれを受け、1709年(宝永六)彼が将軍職を継ぐ(六代家宣)に及んでこの茶入も幕府の什物となり、以来徳川宗家に伝来。
(『東山御物内別帳』『玩貨名物記』『古名物記』『寛政重修諸家譜』『古今名物類聚』『麟鳳亀龍』『大正名器鑑』)

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