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鶴田 純久の章 お話

藍色の最も淡いのをいいます。
天青の一色は中国北宋に始まりました。
柴周の遺製は求めてもなかなか見つかりません。
宋から明まで代々天青をつくる者がいました。
清朝の康煕(1662-1722)・雍正(1723-35)に至ってそれらを集めて大成し、幽筒で淡永な趣がさらに加わりました。
淡筒のなかに穣荷の小点のあるものが一番よいとされています。
その釉色は変遷し、色調が同じでないのもあります。
康煕の初年の天青はその釉が極めて厚く、その色がかすかに青く、釉色が混融して魚脳と同じようなのがあります。
康煕の末年の天青はその釉はほぽ混じり、その色はほぽ藍です。
雍正年間の天青はその釉はほぽ混じり、その色はほとんど天藍色との差がありません。
この時代の製器にはしぱしぱ成化の款を書しています。
康煕から乾隆(1736-95)に至っては天藍と天青とを論ぜず、その釉はみな厚くかつ滋潤です。
特製のものは釉が混じってかつ粗く、魚脳に似ているなどいうことは到底いえません。
(『飲流斎説甕』)

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