平安時代初期から貴族の間で珍重された青色有釉のやきものです。
『源氏物語』『宇治拾遺物語』などに「あをし」の語がみられます。
初めは中国から渡来したもので越州窯の産であるかとも推定されます。
わが国では弘仁年間(810-24)から尾張国(愛知県)で甕器を製作したことが『日本後紀』に記されています。
これは『江家次第』によると御歯固式(歯を固めるといって正月三が日間に鏡餅・猪・鹿・鮎・大根・瓜などを食べました。
歯は齢の意で長命を願う心)に用いられた青甕であることがわかります。
今日では越州窯および尾張青甕の遺品と確定されたものはなく、どのようなものであったか明らかではありませんが、後世の砧・天竜寺手などのような磁器の青磁ではなく、幼稚な薄青釉をかぶせた堅緻な「すえもの」ではなかったかと想像されます。