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鶴田 純久の章 お話

明治期の東京の陶工。
本名塚本寅吉。
三浦乾也の門下。
琥輸の妙手であったが画才はなく、その作品の絵付は向島(墨田区)の画工提雨の描いたものです。
乾セの号は大槻如電の命名によります。
画才を欠くゆえに乾也の一画を略して乾竹」と命じたといいます。
作風は銘款ともに乾也のそれに酷似します。
乾也の作中、楽焼き以外の作品の主なものは乾セの手になり、乾也はただ絵付だけをしたともいわれます。
日露戦争後瀬戸に来て五、六年製陶したが、息子が京都に行きましたので、晩年京都に移住して京風の製作に従ったといいます。
(『名陶我観』『陶磁』七ノ四)

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