


漢作 大名物 伯爵 松平直亮氏藏
名稱
元日野大納言家に在りしを以て此名あり。茶人大系圖に「日野資輝卿權大納言正二位家藏肩衝茶入及廣東帛世稱日野肩衝、日野廣東慶長十二年五月廿日薙髮學茶技於利休」とあり。
寸法
高 貳寸八分九厘
胴徑 貳寸四分
口徑 壹寸貳分五厘
底徑 壹寸四分
甑高 四分五厘
重量 參拾參匁
附屬物
一蓋 三枚
兩窼 遠州好
細窼 石州好
左窼 織部好
包物 紫縮緬裕和巾
一包物 淺黃羽二重綿入和巾
黑天鵞紱袋 白羽二重蒲團ニッ
一袋 四つ
一龜甲紋風通 裏織色海氣 緒つがり紫 遠州好
一雲鶴純子 裏玉虫海氣 緒つがり紫 織部好
右ニッ共黒塗挽家に入る
但蓋甲叩塗煮黑ミ、金物付
一花色地花兎古金彌 裏萠黄紋海氣 緒つがり遠州茶
一彌三右衛門廣東 裏玉虫海氣 緒つかり遠州茶
右ニッ共箱桐白木に入る 箱書付 不味
包物 紫縮緬袷 和巾
一挽家 黑塗
袋 萠黃純子 裏萠黄海氣 緒つがり紫
包物 萠黃純子袷 和巾
一內箱 春慶
一外箱 溜塗 几帳面 煮黑ミ錠前付
一燒形 木形ノ上ニ陶土チ掛ケテ焼キタル者ナリ 仁清
包物 紫羽二重拾 和巾
一添盆 端彫物四方盆
方 六寸參分 鏡方四寸八分
袋 茶純子 裏緋海氣 緒つかり淺黄
箱 桐 白木 書付小堀權十郎
端不了四方盆中栗色
包物 花布 裏御納戶茶羽二重
一添書付 二通 日野殿
機能布は御出本望之至りに候、右之品松波伯耆守當家由緒のものに候へば、何卒拜見仕度由只今參り頼申候御面働之事ながら、くるしからず候はば取出し給候て、伯耆守一人へ拜見御ゆるし給候様願望候爲其如此候也。
個々伯耆守當家由緒の人、その上茶道すきにて候故旁々相願候、御所望申候也。
八日 (花押)
善六殿
ひのかたつき茶入一覧申、よろこひ存候、唯心殿染筆の一紙送進候、この品にそへをかれ候はんか。
つたへきてみかく光も玉たれの 契をそしる こかめにくちぬ契をそしる
十二月七日 資枝
善六殿
雑記
ひの肩衝三井にあり 京都大文字屋宗貞。 (古名物記)
ひのかたつき 京大文字屋宗貞。 (玩貨名物記)
日野肩衝 大文字屋養淸。 (東山御物内別帳)
日野肩付 三井 高二寸八分九厘、口一寸二分五厘、胴二寸四分、盆附一寸四分、挽家黒塗きちゃうめむ、袋龍紋唐手もふる、裏もえぎ海氣、緒がり紫。茶入黒天鵞絨袋に入、薄黄和巾也、挽家もえぎ純子和巾、箱春慶、外箱溜塗、袋二つ、紺地鳥たすき純子 裏海氣 緒つがり紫、挽家黒塗古織好、茶地もふる 裏なし 緒つがり紫。挽家同斷、遠州好、蓋三枚、石州好、古織好、遠州好、袋箱黒塗掛子蓋何も香合に入、仁清形あり、白木箱に入。懸もの二幅添(茶入圖あり)。 (古今名物類聚)
日野 大文字屋宗貞所持雲州公。 柿に黒藥つよく、地藥柿うすし、肩作よし、白土、時代古き方、所々に繕多し(寸法、附属物、茶入圖あり)。 (鱗凰龜龍)
日野唯心 大文字屋に賣りたまふ時、老人を呼て此茶入黄金五拾枚に賣るべき約束す、少し味悪しき事ある程に、五十貫おとして四十五枚になりとも、美作殿(専齋の仕へし森美作守なるべし)などに御取りあらば遣はした事なり。自分に袖に入れ持住見せとのたまふ、見せけれども、代物調ひかねたるに因て首尾せず、途に大文字屋が手に落つ。 (江村専齋著老人雜話)
小堀遠州、日野肩衝茶入京大文字屋宗貞所持の時茶に行かれて、此茶入無袋に用る事を指圖せられし事有り、是らは皆わけ有り、口授せん。されば其後唐物純子の袋を贈られし事あり、今も其袋ともに二ッ有り。 (速水宗者著喫茶明月集)
日野肩衝 日野唯心より大文字屋へ黄金五十枚に賣たまふ也。 (幕庵文庫甲第十六號)
仲人也。
烏丸家より、三木権太夫より、三井引取申候、日野肩衝は日野家より大文字屋疋田と云ふ者、初花を信長へ上り、其替りに日野を買取と申事、古織仲人也。 (若州酒井家文書)
寛永八年十月晦日朝(松屋筆記ニハ四月晦日朝トアリ)
京都大字屋宗味へ 西洞院下立賣也
辻七右衛門殿 醫者以策 水口五郎右衛門 横田五兵衛 久重(松屋源三郎) 五人
床に 虛堂墨蹟 世路多云々(今雲州松本家に傳ふ)
日野肩衝 袋に入る 盆なし
袋 から色緞子紋 鳳凰唐草つなきうな二つ充 緒は紺色
肩衝上藥黒し、もよきの様なる所もあり、下藥柿、口高きなり、土あつく赤白きなり、へぎ土なり。 (久重日記、松屋筆記)
袋野
五五
人衛策
うか二
あり藥柿、
日野肩衝 唐物 日野亞相御所持、其後京都湯川善六と申者へ傳はり、又小松黄門利長公へ差上ル、後湯川善六へ爲御合力被下置即三井三郎助方へ大金ニテ譲り渡シ、三井所藏致居處、文化頃私御取次仕、御買上ニ成此茶入ハ油屋より少々時代次に有之候得共極油屋續キ候程ノ御名器也。 (伏見屋手控、幕庵文庫乙第三號)
日野肩衝 二百雨にて伏甚(伏見屋甚兵衛)取次、不昧公に納む、その代りに熊川茶碗、信楽茶入如心銘金剛二品を出さる。 (三井家文書)
日野肩衝 此茶入油屋御茶入より少々時代に候へども、極上品に御座候、油屋御茶入一、日野御茶入二、至て宜敷御茶入に御座候、金一萬兩位の御品と、古来より申傳に御座候。 (雲州寶物傳來書)
日野かたつき 高二寸九分、胴四寸ニリン、口一寸三分。蓋片桐殿象牙片巢、古織部象牙通巢、小堀殿好象牙片窠。蓋好少しづつ違ひあり。大文字屋、其後湯川善六銀五百貫に取る。口の捻返し常より殊の外張る、惣地藥柿赤藥、薄きあめ薬のなだれ二筋肩の下上より、又藥溜りに黒藥のなだれ二筋あり、さび出来の方なり、内にも藥かかり、薄くあり、底は一段落入るにや、是は藥掛り厚し、土紫のかた、へらおこし、底はいろいろの様に見ゆる。 (雪間草茶道惑解)
日野肩衝 惣體地に細く黒藥の斑あり、口作の上手の事甚し、底土白、捻返し太く、甑下に筋あり、ひさし肩板起し、置形飴二筋流れ、其廻りに黒藥あり、底鼠土也、地藥柿なり、種村より時代古か(袋蓋の記事あり)。 (茶入名物記、箒庵文庫甲第九號)
日野肩衝 惣體地柿にて冴えたる出来、土なまり土なり、口と地にへらにてきり、ゆとり取ある。置方飴藥其上に少々黒みかかる土の處に飴能すく、ひさし肩胴むつくりと張る。 (幕庵文庫甲第三號)
榮仁肩衝と日野肩衝とは散々惡しく候由、三齋老御申候。 (松屋筆三齋公之部、宗流石州流茶書)
日野 漢なり。油屋肩衝と藥立同時代と雖も、時代劣りたり。 (不昧公著、瀬戸陶器鑑觴)
日野肩衝 唐物 日野大納言樣御所持、其後三井三郎右衛門文化の頃本店より賣上る、代金五百兩添物端彫物四万盆添。 (伏見屋手控)
傳來
元日野大納言家に在り、資輝卿の時、黄金五十枚にて之を賣らんとし江村専齋(老人雑話の著者)を森美作守(前揭老人雑話参照)方に遺し、若し貴殿買取られ候へば五十貫を減じ、金四十五枚にて譲渡さんと申入れども、金策調はずとて之れに隠せず偶々京の大文字屋疋田宗観嘗て初花肩衝を信長に獻じたる後其代りとして漢茶入を獲たしと思ひ居る折からなれば、古田織部を介して日野家の希望通り、黄金五拾枚にて之を買取る。而して寛永八年十月晦日、西洞院下立賣大文字屋宗味の茶會に此茶入を使用せること、久重日記、松屋筆記に見えたり。其後大文字屋より銀五百貫にて湯川善六に譲られしが、日野資資卿より善六に宛て、茶入拜見紹介の手紙を送られたるは蓋し此頃の事なるべし、而して善六は之を前田利長に獻しが、後年善六前田家の爲に盡力する所ありければ同家より改めて之を善六に贈輿せり。其後三井三郎助湯川家より大金を以て之を買取り、久しく其家に所持せしが、文化の頃伏見屋甚兵衛の取次により、金五百兩にて松平不昧公に譲られしに、公は殘月、種村と此肩衝とを併せて第三寶物(第一寶物ハ油屋第二寶物ハ鎗ノ鞘)と稱し、永世大切に保存すべく、世子月潭公に遺誡せられしとなり。
大正六年四月二十八日、松平伯は不昧公百年忌に際し、之を松江市興雲閣に出陣して公衆の縦覧に供せらる。
實見記
大正七年五月二十七日、松江市松平直亮伯家事務所に於て實見す。
口作粘り返し深く、縁尖りて精作なり、甑より肩にかけて、半面靑瑠璃釉掛り飴色地に青瑠璃釉のムラむらと現はれたる、又柿色釉の飛々に散點する景色極めて豊富なり、胴廻りに漆繕ひあり、置形一ナダレ美事に青瑠璃釉を現はし、底近くに至りて止まる、裾以下鼠土にて、板起しの底一面に黒き釉カセあり、此茶入一度火災に罹りたる者の如く大疵繕ひ數ヶ所あれども、相好圓満にして、品位高く、青瑠璃釉多く、景色に富む事無類にして、所謂日暮などの名稱は、斯かる茶入にこそ相癒しからめと思はれぬ。