加賀国(石川県)大聖寺藩の家臣、初名は幸八。
若い時から兄の源三郎(のちの竹内吟秋)と共に堀文鎗・小島春晃について絵画を学び、1849年(嘉永二)から山代(加賀市)の宮本屋窯で赤絵を習い、のちに飯田屋八郎右衛門が所有していた『方氏墨譜』写本を譲り受け赤絵細描の名人となりました。
1866年(慶応二)に二条公から相鮮亭一毫の号を受けました。
1868年(明治元)大聖寺藩の商法局書記として大阪に赴き、翌年藩に帰り永楽和全と共に山代窯の改良に尽力。
1877年(同一〇)には京都の池田清助と提携して海外輸出品をつくり、1879年(同二一)に九谷陶器会社が設立された時そこの画工部長となりました。
1916年(大正五)没、八十一歳。
(『九谷陶磁史』)