


寺沢丸壺(てらざわまるつぼ)
唐物 大名物 伯爵 酒井忠道氏 蔵
名称
寺沢志摩守広高が所持していたことに由来してこの名がある。寺沢広高は大永5年(1525年)に尾張国で生まれ、織田信長に従い、後に豊臣秀吉に仕えて次第に出世し、肥前唐津の城主となった。朝鮮出兵で功績を挙げ、さらに筑前国怡土郡のうち2万石を加増された。関ヶ原の戦いでは徳川家康に従って美濃・尾張の間で戦い、その恩賞としてさらに肥後国天草郡を加増され、所領は12万石に達した。彼は常に茶器を愛し、唐津の城主となるや、大いに同地の窯業を振興した。唐津焼が今日あるのは、志摩守の力が大きく貢献していると言われている。寛永10年(1633年)4月11日に死去した。享年71。法名を休甫宗可という。
寸法
高さ:約6.97センチ
胴径:約7.12センチ
口径:約2.88センチ
底径:約3.03センチ または 約3.94センチ
甑(こしき)の高さ:約1.82センチ
重量:約75グラム
付属物
一 蓋 2枚 象牙製、うち1枚の裏に巣(くぼみ)あり
一 御物袋 茶色の羽二重、緒は紫のつがり結び
一 袋 5つ
白極緞子(しろごめどんす)裏は玉虫色の海気、緒は紫のつがり結び
望月広東 裏は萌黄玉虫茶丸、緒は紫のつがり結び
大燈切 裏は萌黄紋海気、緒は紫のつがり結び
穴穂屋緞子 裏は海気、緒は紫のつがり結び
太子広東 裏は海気、緒は紫のつがり結び
一 袋箱 桐の白木
寺沢丸壺袋
一 挽家(ひきや)鉄刀木(たがやさん)製、蓋の甲に金粉
「寺沢」 小堀権十郎の筆
袋 赤地に金鶏頭模様 裏は白繻子、緒は茶色のつがり結び
一 内箱 桐の白木 小堀権十郎の書付あり
「寺沢丸壺」
一 外箱 黒塗り 真鍮製の鎹(かすがい)前金具付き
一 添盆 堆朱の七葉盆 内側は朱塗り、裏は黒塗り、底に「楊茂造」の彫り文字あり
箱 桐の白木
「七葉盆 楊茂製」墨書 筆者は未詳
「寺沢丸壺」 張紙
一 添書付 4通
寺沢丸壺
寺沢丸壺は寺沢家にあったもので、その後、海保半兵衛が金50両を出して求めて所持していた。また、六角の三井家へ渡ったものを、同所から譲り受けたものである。ただし、唐物の丸壺の中でも第一の品であり、他に類を見ない品である。小堀宗中から、当時上方にある茶入の中では、第一が奈良の松本、第二が八幡の国司、第三が三井の寺沢であると、天保の末頃に申し越してきたことがあった。
一 望月広東(かんとう)の袋は、世間にある品とは時代も古く、わけが違い、この裂地(きれじ)の真のものの見本とすべきものである。もっとも、天下にこの手の裂地は他に無いことであるから、取り扱いを格別に心掛けて、大切にすべきである。
一 太子広東の袋は珍しい手のもので、世間にある裂地とは手法が異なるため、この手の裂地は非常に稀であるから、取り扱いを心掛けて大切にすべきである。
ただし、この手の太子広東の裂地は、まず天下になく、この袋一つだけにあるものだから、大切に心掛けて取り扱うこと。
一 望月広東の袋は、この袋一つで200両余りで欲しいという者がいたけれども、とても手放すわけにはいかないこと。
一 この太子広東の袋は、この袋一つで160両余りで欲しいという者がいたけれども、とても手放すわけにはいかないこと。
右の通りの次第であるから、前条の通りのことについて後々までその心掛けで手厚く大切に取り扱うこと。
望月の御袋は、極めて上々の品であり、稀なものです。志摩守殿(寺沢広高)からの御袋であろうと存じます。
太子の裂地、これも上々というのとは手法が異なりますが、珍重すべき裂地でございます。稀にある品だと存じます。
宗長(大坂の戸田弥七氏)の祖父である。
一 七葉盆 堆朱
右は以前より楊茂の作と言われてきたけれども、楊茂の作ではなく、しかしながらいずれにせよ名工十作の内の品であって、良い盆であることには間違いない。
雑記
寺沢丸壺 寺沢志摩守が所持。千道安の門弟である本阿弥三郎兵衛へと渡る。
(古名物記)
寺沢丸壺 唐物の小蜜(こみつ)。本阿弥三郎兵衛。朱書きで「三井勝之助」と入れられている。
(幕庵文庫本翫貨名物記)
寺沢丸壺 海保半兵衛が所持。元は本阿弥が所持。寛保元年(酉年、1741年)3月14日に借覧した(朱書きで「今、京都の三井にある」と入れられている)。高さ約6.91センチ、胴径約7.09センチ、口径約2.97センチ、底径約3.03センチ、甑の高さ約1.82センチ。袋は白極あさぎ、裏は玉虫海気。緒は紫。挽家は鉄刀木(たがやさん)、金粉で「寺沢」と書かれており、小堀権十郎の筆である。袋は堅縞のビロード、裏は白繻子、緒は茶のつがり結び。桐箱に「寺沢丸壺」と書付があり、小堀権十郎の筆跡である。箱の差し渡しは約11.60センチ。蓋は象牙が2枚、うち1枚の内側に巣(くぼみ)がある。袋は4つ。望月広東、裏は萌黄玉虫茶の丸、緒は茶のつがり結び。大燈切、裏は萌黄紋海気。穴穂屋緞子、裏は海気、緒は紫のつがり結び。広東の類の赤白黒かすり、緒は紫のつがり結び。上箱は黒塗り、真鍮の鎹前金具がある。ねじ返しの所に少々欠けがある。その他、所々に取り繕った跡がある。置形(なだれ)の胴に帯のような景色がある。(茶入の図は省略する)
(名物記)
寺沢丸壺 唐物 大名物 三井(寸法、付属物の記事はだいたい名物記と同じ。茶入の図あり)
(古今名物類聚)
寺沢丸壺 漢作 大名物 町人の三井三郎助。柿色の地に黒釉のなだれ、きわめて美しい。
見事な出来栄えで、釉薬の止まる部分は白茶色、本糸切は極めて細く、白い土で、甑の一箇所に割れがある。(付属物の記事および茶入の図あり)
(麟鳳亀龍)
寺沢丸壺 初めは本阿弥、後に海保半兵衛、今は三井にある。(寸法、付属物、茶入の図あり)
(草間和楽著 茶器名物図彙)
寺沢丸壺 海保半兵衛が所持。元は本阿弥が所持。朱書きで「安永年中に大坂屋安兵衛が持参し、三井へ取次ぎ、今は三井宗坡が所持している」と入れられている。(寸法、付属物、茶入の図あり)
(暢園秘録)
寺沢丸壺 漢作(中国製)である。本能寺文琳と同時代のものである。またこれを油屋肩衝と比べるに、釉薬の調合などは同時代といえども時代的には少し下り、やはり日野肩衝と同格のものである。
(松平不昧著 瀬戸陶器濫觴)
預かり一札の事
寺沢丸壺 生駒肩衝 玉柏茶入
越後井戸 染付茶碗 瀬戸茶碗
右の6品の儀について、この度、金1500両をご用立ていただいたため、お預かり置いたことは事実でございます。金銭につきましては御約束の通り、来る申年までの5年間を期限とし、毎年1割2分5厘の利息を加えてご返済いたします。その節には右の品々も間違いなくお引渡しいたします。後日のため、引き換えの証文としてこの通り差し入れます。
天保15年(甲辰年、1844年)8月 若州(若狭国)渡辺権太夫
谷松屋宗長殿
(生駒肩衝の添え書付より)
伝来
元は唐津の城主であった寺沢志摩守広高が所持していたが、広高には実子がいなかったため、次男の兵庫頭堅高が家を継いだ。しかし、天草・島原の乱の責任を問われてその地を没収され、間もなく自害して寺沢家は断絶してしまった。そのため、この茶入は本阿弥三郎兵衛の手に渡り、その後、江戸の両替商である海保半兵衛が5000両を出して自分の所有とした。安永年間に大坂屋安兵衛の取次ぎによって京都の三井宗坡に譲られたが、その後、大阪の道具商である谷松屋宗長の手に渡り、天保19年(※正しくは弘化5年/嘉永元年だが原文のまま)8月に同人からこの丸壺と、生駒肩衝、玉柏茶入、越後井戸、染付茶碗、瀬戸茶碗と合わせて6点、金1500両の担保として若州の酒井家に預け入れられたまま、ついに同家に留まることになったものである。
実見記
大正8年(1919年)4月28日、東京市牛込区矢来町の酒井忠道伯爵邸において実見した。
唐物の丸壺であり、口縁りの縁にひっつき(窯の中で他のものとくっついた跡)が1箇所あり、また口縁から甑の半ばにかけて割れ疵が1箇所あって漆で修繕されている。口縁の裏側には米粒大の欠け疵が2箇所ある。全体は紫色の地に黒の上釉がかかっており、光沢が見事である。置形(なだれ)が甑から肩にかけて、一つなだれとなって曲がりながら盆付(底付近)に至って止まっている。露先(釉薬の滴り)やその他の所々に蛇蝎釉(だかつゆう:蛇などの皮のような模様)が見られる。胴を巡る沈み線が一本あり、置形の反対側において、茶入の周囲の約3分の1ほど途切れている。釉薬の止まる位置は低く、盆付の際でわずかに土を見せている。裾に接してひっつきが2箇所あり、また篦目(へらめ)のような約2.4センチほどの横筋がある。底面は薄い鼠色の土で、細かい糸切の中央に平らな場所とひっつきがある。釉薬の色の光沢が美しく、景色の変化に富んだ茶入である。
【原文】
寺澤丸壺
唐物 大名物 伯爵 酒井忠道氏 藏
名稱
寺澤志摩守廣高が所持せしに由りて此名あり。寺澤廣高は大永五年尾張に生れ、織田信長に從ひ、後豐臣秀吉に仕へて、次第に立身し、肥前唐澤の城主となる。征韓の役に功あり、更に筑前怡土郡の内二万石を加へらる。關原の役、家康に從ひて濃尾の間に戰ひければ、其賞として更に肥後天草郡を加增せられ、所領十二万石に達せり。常に茶器を愛し、其唐津城主となるや、大に同地の窯業を興し、唐津燒の今日あるは、志摩守の力與つて多きに居るといふ。寛永十年四月十一日卒す。年七十一、法名を休甫宗可といふ。
寸法
高 貳寸參分
胴徑 貳寸參分五厘
口徑 九分五厘
底徑 壹寸又壹寸參厘
甁高 六分
重量 貳拾匁
附屬物
一 蓋 二枚 象牙 内一枚 窠
一 御物袋 茶羽二重 緒つがり紫
一 袋 五つ
白極純子 裏玉虫海氣 緒つがり紫
望月廣東 裏萌黄玉虫茶丸 緒つがり紫
大燈切 裏萌黄紋海氣 緒つがり紫
穴穗屋純子 裏海氣 緒つがり紫
太子廣東 裏海氣 緒つがり紫
一 袋箱 桐 白木
寺澤丸壺袋
一 挽家 鐔刀木 蓋甲に金粉
(印)小堀權十郎筆
袋 赤地金鶏頭模樣 裏白繻子 緒つがり茶
一 内箱 桐 白木 書付小堀權十郎
寺澤丸壺
一 外箱 黑塗 眞鍮鎹前付
一 添盆 堆朱七葉盆 内朱 裏黑 底に楊茂造の彫文字あり
箱 桐 白木
七葉盆 楊茂製 墨書 筆者未詳
寺澤丸壺 張紙
一 添書付 四通
寺澤丸壺
寺澤丸つぼは寺澤家に有之其後海保半兵衞五十金出して求所持致居る、亦六角三井へ參りし品の所同所より讓り請る者也。但しから物丸壺の内にても第一の品、外に類はなき品也。小堀宗中より當時上方に有之茶入にては、一は奈良の松本、二は八幡の國司、三は三井の寺澤と、天保の末頃申越候事有之候。
一 望月漢東袋は世間に有之品とは時代も古く譯違此切の眞の一ツ可爲見本尤天下に此手の切は先無之事に候間、取扱格別に心得て、大事に可致候。
一 太子漢東袋珍敷手にて、世間に有之切とは手替故此手の切は甚稀に候間、取扱心得て大事に可致候。
但此手の太子漢東切は、先天下に無之、此袋一巳に有之故、大事に心得可取扱事。
一 望月漢東袋は、此袋一つにて二百金餘に望手有之候へども、中々可遣譯には無之事。
一 此太子漢東袋は、此袋一つにて百六十金餘に望手有之候へども、中々可遣譯には無之事。
右之通之次第之處、前條之通之儀に付後々迄其心得にて厚大切に可取扱事
望月御袋、極上々の品方、稀に御座候、志摩守殿よりの御袋に可有と奉存候
太子是も上々と申とは手替に候へども、珍重切にて御座候、希に有之品に奉存候。
宗長(氏の大服阪戸田彌七)の祖父なり
一 七葉盆 堆朱
右は前々より楊茂作と申事候へども、楊茂にて無之、併何れ十作の内之品に有之候て、能盆には有之事。
雜記
寺澤丸壺 寺澤志摩守所持、道安門弟本阿彌三郎兵衞。
(古名物記)
寺澤丸壺 唐物小蜜 本阿彌三郎兵衞。朱書入三井勝之助
(幕庵文庫本翫貨名物記)
寺澤丸壺 海保半兵衞所持、元本阿彌所持。寛保酉三月十四日借覽(朱書入 今京三井)。高さ二寸二分八厘、胴二寸三分四厘、口九分八厘、底一寸、甑六分。袋白極あさぎ裏玉虫海氣。緒むらさき挽家たがやさん、寺澤と金粉にて書、權十郎筆。袋堅縞びらうど裏白しゆす緒つがり茶。桐箱寺澤丸壺と書付有、權十郎手跡。箱指渡三寸八分三リン。蓋二象牙内一つ窠。袋四つ、望月かんとう裏もえぎ玉虫茶の丸緒つがり茶、大燈切裏萌黄紋海氣穴穗屋どんす裏かいきかんとうの類赤白黑かすり緒つがり紫、上箱黑ぬり、眞鍮鎹前有之、捻返しの所、少々カケあり。其外處々繕あり。置形胴に帶あり。(茶入の圖略す)
(名物記)
寺澤丸壺 唐物 大名物 三井(寸法、附屬物の記事、大抵名物記に同じ、茶入圖あり)
(古今名物類聚)
寺澤丸壺 漢 大名物 町人三井三郎助。柿地黑藥なだれ、至てうるはしき出來、藥どまり白茶、本糸切至て細く、白土、甑の一所われあり。(附屬物の記事及茶入圖あり)
(麟鳳龜龍)
寺澤丸壺 初本阿彌、後海保半兵衞、今三井。(寸法、附屬物茶入圖あり)
(草間和樂著茶器名物圖彙)
寺澤丸壺 海保半兵衞所持、元本阿彌所持。朱書入 安永中大坂屋安兵衞持參、三井へ取次、今三井宗坡所持。(寸法、附屬物茶入圖あり)
(暢園秘録)
寺澤丸壺 漢なり。本能寺文琳と同時代なり。又之を油屋肩衝に比するに、藥立同時代と雖も時代劣り、なほ日野肩衝と同位のものなり。
(松平不昧著瀬戸陶器濫觴)
預り一札の事
寺澤丸壺 生駒肩衝 玉柏茶入
越後井戸 染付茶碗 瀬戸茶盌
右六品の儀、今度金子千五百兩御用達申候ニ付、預申置候處實正也、金子の儀御約定の通、來ル申年迄五ヶ年限、年々五朱の息金を加へ、御返辨可有之候、其節右品も無相違相渡可申候、爲後日御引替證文如件。
天保十五甲辰年八月 若州 渡邊權太夫
谷松屋宗長殿
(生駒肩衝の添書付)
傳來
元唐津の城主寺澤志摩守廣高所持なるが、廣高子なく、次男兵庫頭堅高家を繼ぎ、天草の亂に其地を没収せられ、幾程もなく自害して其家絶えければ、此茶入は本阿彌三郎兵衞の手に渡り、後江戸兩替商海保半兵衞五千金を出して己が有と爲し、安永年中大坂屋安兵衞取次にて京都三井宗坡に讓られしが、其後大阪の道具商谷松屋宗長のに入り、天保十九年八月同人より此丸壺と、生駒肩衝、玉柏茶入、越後井戸、染付茶碗、瀬戸茶盌と合せて六點金千五百兩にて若州酒井家に預け入れたる儘、遂に同家に留まりたる者なり。
實見記
大正八年四月二十八日、東京市牛込區矢來町酒井忠道伯邸に於て實見す。
唐物丸壺にして、口縁り縁にヒッツキ一ヶ所あり、又口縁より甑半ばにかけて割れ疵一ヶ所漆繕ひあり、口縁裏側に米粒大の缺け疵二ヶ所あり、總體紫地に黑上釉光澤美事に、置形甑より肩にかけて、一ナダレ屈曲して盆附に至りて止まり、露先其他處々に蛇蝎釉を見る、胴を繞れる沈第一線、置形と反對側に於て、茶入の周圍約三分の一ばかり途切れたり、釉止り低く盆附際僅に土を見せ、裾に接してヒッツキ二ヶ所あり、又篦目樣の約八分許の横筋あり、底面薄鼠色の土にて細かき糸切中央に平面の場所及びヒッツキあり、釉色光澤麗しく景色の變化に富みたる茶入なり。


