




山桜大海(やまざくらたいかい)
漢作(中国製)大名物 京都 上野与吉氏 蔵
名称
『古今名物類聚』に「『遅かりし恨も今は山さくら花なき頃のはなに向ひて』この歌の意によって、昔より山桜と申すとのこと。全体的に茶入の出来が遅桜と同じようであるからだろうか」とある。右の歌の作者は藤原為尹(ためただ)卿である。
寸法
高さ:約8.03センチ
胴径:約10.66センチ
口径:約6.00センチ
底径:約4.85センチ
甑(こしき)の高さ:約1.36センチ
肩幅:約1.21センチ
重量:約206.6グラム
付属物
一 蓋 3枚 うち1枚に巣(くぼみ)あり
蓋の直径:約6.36センチ
一 袋 2つ
金花兎紋 裏は萌黄かべちょろ 緒は茶のつがり結び
「山桜大海」
稲妻緞子 裏は萌黄かべちょろ 緒は紫のつがり結び
一 袋箱 蓋は黒塗と朱塗 銀粉の書付あり
黒塗
「山桜 蓋袋」
朱塗
一 挽家(ひきや)けやき製 黒掻合塗(くろかきあわせぬり)内側は金銀梨子地
銀粉で字形あり 小堀遠州の書付あり
「山桜」
袋 かばいろけん(樺色の絹?)裏は萌黄かべちょろ 緒は紫のつがり結び
一 箱 桐 蓋の縁は紫檀(朱檀)の継ぎ合わせ
「唐 大海」
「山桜」
一 証状 藤重藤元の極め(鑑定)
唐大海、正真(本物)であり異論はない。
巳年12月 日 藤重藤元(花押)
一 添書付
千首の内
余花 藤原為尹卿
「おそかりし恨も今は山さくら むかなきころの花にむらひて(遅かりし恨みも今は山桜 花なき頃の花に向かいて)」
雑記
山桜 唐物。高さ約8.03センチ、胴径約10.61センチ、口径約6.06センチ、肩幅約1.21センチ、同高さ約1.42センチ、底径約4.85センチ。袋は2つ。表は金地兎の紋、裏を表にして、裏は萌黄かべちょろ、緒は遠州茶のつがり結び。稲妻模様緞子、裏は萌黄かべちょろ、緒は紫のつがり結び。挽家はけやき、外は黒掻合塗、銀粉にて書付。袋はかばいろけん、裏は萌黄かべちょろ、緒は紫のつがり結び。箱は桐、花櫚(かりん)にて端喰(はしばみ)があり、几帳面(きちょうめん)の面取り。
「をそかりしうらみもいまは山桜 花なき頃のはなにむかひて(遅かりし恨みも今は山桜 花なき頃の花に向かいて)」、この歌の心によって、昔より「山桜」と申すとのこと。全体的に茶入の出来が、遅桜と同じようであるからだろうか。金森家が所持していたと言い伝えられている。以前は箱の蓋の裏に小堀権十郎(小堀遠州の弟、正春)の筆で認めてあったが、この古い箱は正徳6年(申年、1716年)の正月元日の火事で焼失した。
(古今名物類聚 拾遺の部)
山桜 唐物。宝永年中に求めた。(寸法、付属物の記事は『古今名物類聚』と同じであり、別に茶入の図がある。)
(名物記)
山桜 漢作 大名物。樽与左衛門。口径約6.55センチ、高さ約8.24センチ、胴径約10.30センチ、底径約5.00センチ、甑の高さ約1.52センチ、肩おろし約1.21センチ、厚さ約0.45センチ。御物袋は白縮緬、緒は紫。袋は2つ。薄萌黄地に七ツ星丸紋に龍鳥紋の金入、裏は萌黄海気、緒は紫。万字さや形に七ツ星茶紋緞子、裏は同じ、緒は遠州茶。挽家は黒掻合塗の丸形、甲に一文字、底に渦があり、内側は金銀ひらめ梨子地。袋は浅黄牡丹紋緞子、裏は茶唐花紋、緒は遠州茶。挽家の書付は「山桜」。箱は白桐、縁に端喰があり、桑材、書付は「唐大海」。箱の差し渡しは約14.36センチ、ただし中切り入れ(仕切り)があり、桐材、書付のある所は約11.09センチ四方。「をそかりし恨も今は山桜 むをなきころの花にむかひて(遅かりし恨みも今は山桜 花なき頃の花に向かいて)」、藤重藤元の極め(鑑定)。柿色に飴釉のなだれ、釉薬は薄く、肩の作りが良く、地釉は油屋(油屋肩衝)に似ている。鼠色の土で、板起こし(底の作り方)。(精巧な茶入の図あり)
(麟鳳亀龍)
山桜大海 唐物。土屋相模守、その後、松平和泉守が所持。堀田相模守、その後、佐竹左京大夫。
(諸家名器集)
伝来
元は金森家が所持しており、土屋相模守に伝わり、宝永の頃に松平和泉守の所有となった。正徳6年(1716年)正月元日の火災で、小堀権十郎の筆による箱を焼失した。その後、堀田相模守に伝わり、のちに道具商の樽与左衛門の手に渡り、そこから秋田城主の佐竹左京大夫が所持することとなった。しかし、大正6年(1917年)11月15日、佐竹侯爵家の道具入札払いの際に、現在の所持者(上野与吉)に落札された。
実見記
大正9年(1920年)5月16日、京都市下京区松原広道の上野与吉氏邸において実見した。
口縁は丸みを帯びており、捻り返しは浅く、甑の下が張り、肩はくっきりとついて胴が張っている。腰からふっくらと丸みを帯びて窄(すぼ)まっている。裾から下は半分が鼠色、もう半分が朱泥色の土を見せ、底は板起こしになっていて縁がやや上がり、一部に欠け落ちがある。肩の下に面取りをしたような幅の広い轆轤目(ろくろめ)があり、それより下は轆轤目が細かく巡っている。半分が黒飴釉、もう半分が紫ないし柿色の釉薬で片身替わり(左右で色が異なること)になっており、置形(なだれ)の紫色の中に黒釉が一本のなだれとなって盆付(底)に至って止まっている。その他に一箇所、黒飴色のなだれが土の際に達し、露先(釉薬の滴り)に少し青瑠璃色を現している所がある。内部は口縁に釉薬が掛かり、一部の釉薬のなだれが底面に達しているものがある。轆轤目が粗く巡っており、底の中央の渦形は磨滅してわずかに見える程度である。無傷であり、景色に富み、片身替わりに釉薬の色が変化して見所の多い茶入である。
【原文】
山櫻大海
漢作 大名物 京都 上野與吉氏 藏
名稱
古今名物類聚に『遅かりし恨も今は山さくら花なき頃のはなに向ひて』此歌の意によりて、昔より山櫻と申候由、惣體茶入の出來遅櫻同前故に候哉
とあり。右歌の作者は藤原爲尹卿なり。
寸法
高 貳寸六分五厘
胴徑 參寸五分貳厘
口徑 壹寸九分八厘
底徑 壹寸六分
甑高 四分五厘
肩幅 四分
重量 五拾五匁壹分
附屬物
一 蓋 三枚内一枚窠
蓋の直徑二寸壹分
一 袋 二ツ
金花兎紋 裏萌黄かべちよろ 緒つがり茶
山櫻大海
稲妻純子 裏萌黄かべちよろ 緒つがり紫
一 袋箱 蓋黑塗朱塗 書付銀粉
黑塗
山櫻
蓋袋
朱塗
一 挽家 けやき黑掻合塗 内金銀梨子地
銀粉字形 書付遠州
山櫻
袋 かばいろけん 裏萌黄かべちよろ 緒つがり紫
一 箱 桐 蓋縁朱檀繼合
唐 大海
山櫻
一 證状 藤重藤元極
唐大海正眞無異論者也
巳十二月 日 藤重藤元(花押)
一 添書付
千首之内
餘花 爲尹卿
おそかりし恨も今は
山さくらむかなきころの
花にむらひて
雜記
山櫻 唐物 高二寸六分五厘、胴三寸五分、口二寸肩四分、同高四分七厘、底一寸六分。袋二表金地兎ノ紋裏ヲ表ニシテ、裏萌黄かべちよろ、緒つがり遠州茶。稲妻模樣純子 裏萌黄かべちよろ 緒つがり紫。挽家けやき 外黑掻合塗銀粉にて書付。袋カバイロケン 裏もえぎかべちよろ 緒つがりむらさき。箱桐花琳にてハシバミ、きぢやうめん。
をそかりしうらみもいまは山櫻花なき頃のはなにむかひて、此歌のこゝろにて、むかしより山櫻と申候由、惣體茶入の出來、遅櫻同前故に候哉、金森家の所持之由申傳候。前に箱のふた裏に小堀權十郎筆にて認有之、此古箱正徳六申正月元日の火事に燒失。
(古今名物類聚拾遺の部)
山櫻 唐物 寶永年中求。(寸法、附屬物の記事、古今名物類聚と同一なり、別に茶入圖あり。)
(名物記)
山櫻 漢 大名物 樽與左衞門。口二寸一分六厘、高二寸七分二厘、胴三寸四分、底一寸六分五厘、甑五分、肩おろし四分、厚さ一分五厘。御物袋白ちりめん 緒紫。袋二薄萌黄七ツ星丸紋に龍鳥紋金入 裏萌黄海氣 緒むらさき 万字さや形七ツ星茶紋純子 裏同 緒遠州茶。挽家黑かき合丸形、甲一文字底に渦内金銀ひらめ梨子地。袋淺黄牡丹紋純子 裏茶唐花紋 緒遠州茶。挽家書付、山櫻。箱白桐、ふちハシバミ有り、桑、書付、唐大海。箱の渡四寸七分四厘、但し中きりいれ、桐、書付の所三寸六分六厘四方。をそかりし恨も今は山櫻むをなきころの花にむかひて、藤重藤元極。柿にあめ藥なだれ、藥うすく、肩の作よし、地ぐすり油屋に似る、鼠土、板おこし。(精巧なる茶入圖あり)
(麟鳳龜龍)
山櫻大海 唐物 土屋相模州、其後松平和泉守所持、堀田相模守、其後佐竹左京大夫。
(諸家名器集)
傳來
元金森家所持にして、土屋相模守に傳はり、寶永の頃松平和泉守の有と爲り、正徳六年正月元日の火災に、權十郎筆の箱を燒失せり。其後堀田相模守に傳はり、後道具商樽與左衞門の手に渡り、夫より秋田城主佐竹左京大夫所持と爲りしが、大正六年十一月十五日、佐竹侯爵家道具入札拂の際、現所持者に落札せり。
實見記
大正九年五月十六日、京都市下京區松原廣道上野與吉氏邸に於て實見す。
口縁丸味を持ちて捻り返し淺く、甑下張り肩キッカリとつき胴張り、腰よりフックラと丸味を持ちて窄まる、裾以下半面鼠色、半面朱泥色の土を見せ、底板起しにて縁稍上り、一部に缺け落ちあり、肩下に於て面取りたるが如き幅廣き轆轤目あり、夫れより以下轆轤細かに繞り、半面黑飴釉、半面紫乃至柿色釉片身替りを爲し、置形紫色中に黑釉一ナダレ盆附に至りて止まる。他に一ヶ所黑飴なだれ土際に達し、露先に少しく青瑠璃色を現はす所あり。内部口縁釉掛り、一部釉ナダレ底面に達する者あり、轆轤荒く繞り、底中央渦形磨滅して僅に見るべし、無疵にして景色に富み、片身替りに釉色變化して見所多き茶入なり。



