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唐大海

唐大海

中興名物 大阪 村山龍平氏蔵

名称
唐物大海というのと同じ。

寸法
高さ 約7.3センチ (2寸4分2厘)
胴径 約10.2センチ (3寸3分5厘)
口径 約5.5センチ (1寸8分)
底径 約4.5センチ (1寸5分)または 約4.6センチ (1寸5分1厘)
甑(こしき)の高さ 約1.5センチ (4分8厘)
肩幅 約0.8センチ (2分6厘)
重量 約152.6グラム (40.7匁)

附属物
・蓋 1枚 無地(模様なし)
・袋 1つ
浅黄地唐花純子(裏地はかべちよろという生地)結び紐は薄茶色
・挽家(茶入を納める筒)櫟(くぬぎ)春慶塗 内側は黒塗
袋 茶草(裏地は縞海気)結び紐は藤色
・箱 桐 白木 書付は小堀遠州
「唐大海」
・添書付 2通
唐大海茶入
箱書付 宗甫(小堀遠州)
袋 唐純子
挽家 さばき塗
同袋 茶草
右の宗甫による修理の件、今まで伝来してきたところですが、ご熱望にお任せしてお送り申し上げます。末永く玉室(交遊のあった僧)の友ともなりますならば、大切にしていただけるものと存じます。かしこ。
文化己巳(文化6年・1809年)2月 政優(花押)
尾関雅智 主へ(宛て)

覚書
一、大海茶入の袋は、唐物でしょうか、何という切れ地でしょうか。表は唐段子の中で
裏はかべちよろ。
一、同じく裏の切れ地は唐切れ地でしょうか、何という切れ地でしょうか。
一、挽家の袋は、何の革でしょうか。
和か包(柔らか包み?)
一、同じく裏の切れ地は何嶋(縞)でしょうか。
しまかいき(縞海気)
東袋 様宛て 尾関より
(注:東袋は日本橋新右衛門町に住んでおり、茶入の袋を縫う名人で、切れ地の目利きとしても有名であった。)
右の包み紙に記されている書付は以下の通りである。
唐物 宗甫公(小堀遠州)の九代目 小堀梅之助殿
大海茶入 からの譲り状、古筆了意の極札、
性合吟味所の書付
文化6年己巳2月

・添手紙 1通
梅雨の最中で困る天気が続いておりますが、いよいよご安静のこととお慶び申し上げます。さて、こちらは思いがけず申し訳なく、すっかりご無沙汰申し上げており、御用を仰せつかりたく存じます。先般からの茶入の件、大いに遅れてしまい申し訳ないのですが、思いがけない事情があり、どうか先方へよろしくお取り計らいいただき、お断りくださるようお願いいたします。ようやく小子が上京いたしましたので、持ち帰りまして持参させます。お受け取りいただきたく存じます。たびたび遅れましたこと、お詫び申し上げます。万一、他の方へお譲りになる(売却される)ようなことがありましたら、当方でお引き受けしたく以前からお願いしておりますので、よろしくお頼み申し上げます。もし他から値段の都合がつくようでしたら、そのままお引き受けしたいと存じますので、この点もお含みおきください。実は今月3日に持ち帰ったのですが、一向に人がおらず、日々出勤しておりますため、持参することができない状況です。この点を悪く思わずご承知おきください。まずはお伝えしたく、さぞかしお困りのこととお察しいたします。とにかくお目にかかって万々お礼申し上げます。以上。
5月13日 木津宗隆
松井左兵衛 様
茶入添え

雑記
唐大海 小堀家所持。高さ約7.3センチ(2寸4分)、胴約10.2センチ(3寸3分5厘)、口約4.6センチ(1寸5分2厘)、異本では約5.5センチ(1寸8分)、底約4.5センチ(1寸5分)。蓋1枚。袋1つ、唐花紋純子(裏地はかべちよろ、結び紐は紫)。挽家はけやき(外側は春慶塗、内側は黒、袋は燻べ革、裏地は縞海気、結び紐は藤色)。箱は桐の白木で「唐大海」。(茶入の図あり)
(『名物記』より)
唐大海(寸法や附属物の記事は『名物記』と同じ。所持者の名および茶入の図はなし)
(『古今名物類聚』拾遺の部より)

伝来
小堀宗甫(遠州)が所持し、長く同家に伝わっていたが、文化6年(1809年)小堀宗中の代に至って尾関文右衛門雅智に譲られた。その後、木津宗隆から松井左兵衛に伝わり、大正7年(1918年)の春に某氏がこの茶入を携えて東京の松山米太郎氏に鑑定を求めたところ、松山氏はこれを『名物記』や『古今名物類聚』と照らし合わせて考証した上で、ついに自らこれを買い求め、その後まもなく現在の所持者(村山龍平氏)に譲り渡した。

実見記(実際に見た記録)
大正9年(1920年)9月26日、兵庫県武庫郡御影村の村山龍平氏邸において実物を見た。
口の縁の折り返しは厚さが均一ではなく、甑(こしき)の下が張り出し、その周囲に沈んだ筋が一本ある。肩先から胴にかけて次第に張り出し、胴から下は盆付(底付近)にかけて次第にすぼまっている。黒金気(黒っぽい金属光沢)の色の上に柿金気の釉薬が入り混じり、景色の変化が非常に多い。肩先から胴回りにかけて、「ひっつき(窯の中で他のものが付着した跡)」が数カ所見える。腰から下は轆轤(ろくろ)の目が浅く巡り、底は朱泥色の土で、板起し(平らな底)である。時代は古く、手に取ると軽く、釉薬の質も上手で、まさに漢作(中国製)のようである。黒飴釉が肩先から一筋流れて盆付の際まで達している所があり、土の中のほつれ、あるいはひっつきが多く、全体として景色に富んだ茶入である。内部は口縁に釉薬が掛かり、それより下は轆轤の目が荒く巡り、底の中央は渦状になっている。この辺り一面に水釉が掛かり、黒釉の飛びが一点ある。無傷であり、唐大海の中でも有数の出来栄えのものと見受けられた。

【原文】

唐大海

中興名物 大阪 村山龍平氏藏

名稱
唐物大海と云ふに同じ。

寸法
高 貳寸四分貳厘
胴徑 参寸参分五厘
口徑 壹寸八分
底徑 壹寸五分又壹寸五分壹厘
甑高 四分八厘
肩幅 貳分六厘
重量 四拾匁七分

附属物
一 蓋 一枚 窠なし
一 袋 一ツ
淺黄地唐花純子 裹かべちよろ 緒つがり薄茶
一 挽家 櫟 春慶塗 内黒塗
袋 茶草 裹縞かいき 緒つがり藤色
一 箱 桐 白木 書付遠州
唐大海
一 添書付 二通
唐大海茶入
箱書付 宗甫
袋 唐純子
挽家 さはき塗
同袋 茶草
右宗甫修覆之儀今以致傳來候處、御懇望にまかせ、送進申候、永く玉室の友とも相成候はゝ珍重可存候、かしく。
文化巳己如月 政優(花押)
尾關雅智主へ

一 大海茶入袋 唐ものにて候哉、何と申候切レに候哉、おもて唐段子中之所
うらかへちようろ
一 同うら切唐切にて候哉、何と申切レに候哉。
一 ひき家袋、何革にて候哉。
和か包
一 同うら切レ何嶋にて候哉。
しまかいき
東 袋 様  尾關
東袋は日本橋新右衛門町住居、茶入ノ袋ヲ縫フ名有リ、切レ類ノ目利ニモ名アリ。
右の包紙に記せる書付如次
唐物 宗甫公九代目小堀梅之助殿
大海茶入 より讓状 古筆了意極札
性合吟味所ノ書付
文化六巳二月
一 添手紙 一通
梅雨中困り候天氣御座候、彌御安靜之段奉南山候。然に此方存外無申譯、御無沙汰申上居、御用給被成下度候、先達より茶入大に延引無申譯も存外之次第、何卒先方へ宜敷御取合、御斷之所奉願候、漸く小子上京仕候、持歸り候而爲持上候、御落手被成下度候、段々延引之儀、御斷申上候、自然外方へ御拂も相成候はゝ此方へ申受兼而相願置候間、宜敷御願込、自然外方より直段都合候はゝ其儘にて申受度奉存候、間是も御含置被下度候、實は當月三日持下り候得ども、一向無人之處、日々出勤致居候て、爲持上候事出來兼候事、此段不惡御承引被成下度候、先々右等申上度、嘸々一條御困り相成候事奉察候、何角拜眉萬々御禮等奉謝候、以上。
五月十三日 木津宗隆
松井左兵衛様
茶入添

雜記
唐大海 小堀所持。高さ二寸四分、胴三寸三分五厘、口一寸五分二厘、異本壹寸八分、底壹寸五分。蓋一枚、袋一、唐花紋純子 裹かべちよろ、緒つがり紫。挽家けやき、外春慶、中黒、袋ふすべ革、裏しまかいき、緒つがり藤色。箱桐白木、「唐大海」(茶入圖あり)
(名物記)
唐大海 (寸法附属物の記事、名物記に同じ。所持者の名及茶入圖なし)
(古今名物類聚拾遺之部)

傳來
小堀宗甫所持にして、久しく同家に傳はりしが、文化六年小堀宗中の代に至りて尾關文右衛門雅智に讓り、其後木津宗隆より松井左兵衛に傳はり、大正七年の春某氏此茶入を携へて東京松山米太郎氏に鑑定を乞ひければ、松山氏は之を名物記及古今名物類聚に引合せて考證の上遂に自から之を購求し、其後程なく現所持者に讓渡せり。

實見記
大正九年九月二十六日、兵庫縣武庫郡御影村山龍平氏邸に於て實見す。
口縁拈り返し厚薄不同、甑下張り、其周圍に沈筋一線あり、肩先より胴まで次第に張り、胴以下盆附まで次第に窄まる。黒金氣色の上に柿金氣釉相錯綜して、景色變化頗る多し。肩先より胴廻りにかけて、ヒツツキ數ヶ所見ゆ、腰以下轆轤目淺く繞り、底朱泥色の土にて、板起しなり。時代古く、手取輕く、釉質上手にして正しく漢作なるが如し。黒飴釉肩先より一線流れて、盆附際に達する所あり、土中ホツレ若くはヒツツキ多く、總體景色に富みたる茶入なり。内部口縁釉掛り、以下轆轤目荒く繞り、底中央渦状を成し、此邊一面に水釉掛り、黒釉飛び一點あり。無疵にして唐大海中有數の出來物と見えたり。

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