薩摩国(鹿児島県)の竪野焼の陶工。
初名を久兵衛といい、初代星山仲次に教えを受け金和(仲次の子弥右衛門)の弟子となり、1648年(慶安元)に藩主光久に召し出されて碗右衛門の名を賜りました。
その後京都の御室窯の錦手を研究し帰国後ただちに製作、江戸に赴いて藩主に献上したところ非常に喜ばれて金子を拝領。
帰路京都に止まって聚楽焼および唐物茶入などの製法をも修得して帰国。
この時から焼物方主取役を命ぜられ切米八石と屋敷を賜りました。
子孫には嘉兵衛・清右衛門・長兵衛・七右衛門・市右衛門らかおり陶業を継いでします。
星山家と並ぶ名家。
(『薩摩焼総鑑』)